放送禁止歌・復権する!
 
子守り 1960年代後半から1970年代前半、フォークソングの全盛期に、要注意歌謡曲、いわゆる「放送禁止歌」に指定された曲のほとんどが、歌詞全体の文脈や行間からとらえて、政治的だったり反社会的だとして規制された。

 これが、1970年代後半以降になると少しずつ変容してゆく。「放送禁止用語」の概念がマスメディアに広がりはじめ、歌詞全体の意味よりも歌詞に使われている差別的な用語それ自体が問題となり、結局は曲全体が規制の対象となる傾向があらわれはじめる。

 「支那の夜」や「蘇州夜曲」等は、それまで何の抵抗もなく歌われていたが、1980年代後半には、中国の蔑称・日本の植民地支配を象徴するとして放送禁止歌になった。

 この当時、マスコミの差別表現等があまりにもひどく人権団体等から抗議や糾弾を受けるケースがあり、実際にクレームがつく前にそれらを恐れて自粛するケースも多かった。

 ところが、近年放送禁止歌とされながらコンサートなどで歌いつがれてきた歌を見直すケースがでてきた。

 ザ・フォーク・クルセダーズが歌って発売直前に回収された「イムジン河」(歌詞に南側への偏向があるとの説である)が2002年復刻され話題になった。

 更に自粛された歌として「竹田の子守唄」がある。フォークグループ「赤い鳥」が歌うこの曲は2003年2月に復刻版として発売された。「竹田の子守唄」については「赤い鳥」のメンバーによって再結成されたグループ「紙ふうせん」により、2000年5月に収録されているが、今回のCDは1971年の完全復刻版である。

 この曲は素朴な歌詞と美しい旋律から、当時の音楽ファンの心を捉えたものであった。しかしその後、原曲が京都の被差別部落に伝わる貧しさを表す「守り(もり)子唄」であるとの理由から、メディアの自主規制による「放送禁止歌」として表舞台から遠ざかっていた。復刻したソニーミュージックでは、製作担当者自らが京都を訪れ、企画の意図などを説明し、地元の部落解放同盟との交流を持ち理解を深めたという。

 元「赤い鳥」メンバーの後藤さんは『部落にはいい歌がたくさんあります。抑圧されればされるほど、その土地の人々の間で、ぼくらの心を打つ本当に素晴らしい歌がうまれるんです。歌とはそういうものです。でもそんな歌のほとんどに、今では誰も手をつけようとしない、誰もが見て見ないふりをしている。だからせめてぼくくらいは、これからもそんな歌を発掘して、歴史や背景も見つめながら、歌い続けてゆきたいと思っています』と言っている。

 日本に存在する人権問題や表現による人権侵害等が重要視されている現在、本質を見据えた取り組みが必要ではないだろうか。

参考文献「放送禁止歌」森達也 著