「人権」と「人権」ーーオウム真理教を巡る加害者と被害者ーー (その3)


R市の人々…
 双方が厳しく対立していた時期、R市の住民であり小学校のPTA役員のSさんから私にメールが送られてきた。子どもたちの就学を認めるべき、というテレビでの私の発言に疑問を呈する内容だった。私は、自分の考えをまとめて返事を出した。それをきっかけに、私は住民と関わりを持つようになった。
 Sさんたちは、教団への怒りと恐怖心、代理人弁護士や支援グループへの反感、ついこの間まで教祖だった子どもたちを引き受けることへの不安などを抱く一方、「このままでいいのか」と自問もしていた。

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写真提供/共同通信社
 ここからが、R市の人々の素晴らしいところで、ただ不安を募らせたり反感を持ち続けるだけでなく、住民代表やPTAの役員が、一斉に動き出したのである。それまでオウムの問題を経験した地域を訪ね歩いて、教団に関する情報収集に務めた。カルト団体に詳しい人たちに話も聞いた。麻原の子どもたちの世話係に対話ももちかけた。
 PTAの役員をしていたある母親は、当時の心境を後になってこう語っている。
「学校にも行かせず、狭い所に押し込めていけば、子どもたちのオウム化も進むだけで、オウムの次世代を作らないことが大切だ、と思った。ただ、頭でそれが分かっても、なぜそれを我が子が引き受けなければいけないんだ、という気持ちは残った。人権どころか人命を無視してきた団体が、自分の人権をいけしゃあしゃあと主張していることについて、自分の内側の葛藤があって、どう折り合いをつけるかに時間がかかった」
 世話係と会っても、最初は話がかみ合わない。それでも、「こちらの方が気持ちを変えようと努力していると、相手もだんだん和やかになり、だんだん関係が変わっていった」と先の母親は言う。

 そして情報は、住民やPTAの父母たちに伝え、不安の解消に務めた。役員たちの関心は、「どうやったら受け入れずに済むか」から、「どうしたら少しでもいい形で受け入られるか」に変わっていった。自分たちの子どもは、大人の反対運動を見ている。そのために、麻原の子どもたちがいじめられたり、差別を受けたりしないだろうかと、心配になり、我が子とじっくり話し合った親もいた。

 そうした経緯を経て、受け入れられた子どもたちは、今も毎日学校に通っている。道を歩いていてクラスメイトが声をかける光景も、ごく日常のものになった、という。


解決への道筋
 今も、子どもたちのことを気にかけている一人のPTA役員は、こう語る。 
「彼らの社会復帰を支援し、二度と教団に戻らないよう見守ることが、私たちのオウム反対運動だ」
 差別する側とされる側、加害者と被害者。そんなふうにスッパリと割り切れない問題に直面した時、どうしたらいいのだろうか。その解決の道筋はケースによって様々だろうし、糸口すらみつからずに、頭を抱えることも多い。そういう時、R市の人たちのような柔軟な心と行動力、そして正確な情報は、何らかの力になるのではないかという気がする。