「人権」と「人権」ーーオウム真理教を巡る加害者と被害者ーー (その1)

ジャーナリスト 江川紹子 江川紹子
●プロフィール
略  歴: 早稲田大学政治経済学部政治学料卒業
  1982年 神奈川新聞社入社
  1987年 同社退社、
以後フリー
  1995年 菊池寛賞受賞
主な著書: 「学校を変えよう」
(NHK出版)
  「オウム真理教追跡2200日」
(文藝春秋社)
「私たちも不登校だった」(文藝春秋社)
週間文春にて「人を助ける仕事」連載中



「人権」のぶつかり合い
 人権侵害は許されない。人権意識を広げていく必要がある――これに異論を唱える人は、いないだろう。理念としての「人権」は人類に普遍的なものであって、侵すことのできない恒久的なものに違いない。
 しかし、それを現実の世界に生かそうとする時、現場では「人権」と「人権」がぶつかり合うことがしばしばある。様々な価値観や感情が入り交じり、時期や当事者の状況などによって、どちらの「人権」を優先させるか、非常に悩ましい事態に直面することも少なくない。私は、とりわけオウム真理教を巡る問題で、そのことを痛感させられた。

 例えば、熊本県波野村でのオウム信者住民票拒否問題がある。教団が同村に進出したのは、1990年4月。当時、表面化していた事実を並べてみると――。
1989年11月、オウムに批判的な活動をしていた坂本弁護士とその家族が行方不明となった。自宅の状況から、一家は暴力的に連れ去られたと思われた。監禁され、子どもを人質に、オウム問題から手を引くよう脅迫されていることも考えられ、早期の対応が求められた。しかし、警察の初動捜査は鈍く、教団に追及の手は及ばなかった。

 翌年、春の衆議院総選挙に、麻原彰晃こと松本智津夫以下教団幹部二十五人が立候補。教団は、選挙権のある信者の住民票を、ごっそり形だけ麻原の選挙区に移動させる不正な住民登録などの違法行為を含めて選挙活動を進めたが、結果は全くの惨敗だった。

 その後、オウムは同村に広大な土地を購入し、施設建設に乗り出した。週刊誌が「オウムが村を乗っ取ろうとしている」と書いた。それを記者会見で訊ねられた教祖は、「そうなるかもしれませんよ」とにやりと笑った。
村を挙げての反対運動
 波野村の人口わずか1800人ほど。そこへ2000人近くになっていた"出家者"と呼ばれる、社会とは融和しょうとしない信者がきたらどうなるか――。村はパニックに陥った。
 村を挙げての反対運動が盛り上がった。オウムにはモノを売らない。教団施設に向かう林道に監視小屋を建て住民が交代で詰める。機材の搬入を阻止しようとする住民と信者の間でもみ合いとなる騒ぎもあった。
 信者の住民登録の申請に対し、村は居住確認を行うことにした。担当者が教団施設に赴いたが、教団側は拒絶。村は、居住の確認がとれないとして、住民登録を不受理とした。行政側は、「住民でない」という理由で、糞尿のくみ取りをせず、子どもたちの就学手続きもとらなかった。教団側は糞尿のタンクを村役場に持ち込んで、抗議。ただし、当時の教団は子どもを学校に通わせなかったので、就学拒否は特に問題にはならなかった。
 一方警察は、教団が土地を購入した時に、法律で定められている届け出をしなかったとして、国土法違反で教団に対する強制捜査を行い、その後の偽装工作を行った幹部を含めて数人を逮捕した。

 オウム側は、村・県・警察の対応は宗教弾圧だとして抗議行動を行い、裁判も起こした。一部人権団体が教団の援護射撃を行った。それによると、信教の自由や居住の自由を奪う人権侵害であり、自分たちと異なる信念やライフスタイルを持つ人々への差別である。教団関係者が坂本事件に関わっていたとしても、当事者を処罰すればすむことだ。警察の捜査は、国土法違反にしては大がかりにすぎ、教団つぶしの不当なものだ……。

 ここまでの事実経過をふまえ、この拙文をお読み下さる方々が、問題の渦中にいたとしたら、どういう対応をされるだろうか。この先を読み進める前に、ぜひ一度ページを閉じて、考えてみていただきたい。