竹内 良

企業の人権啓発担当者がいつも抱えている課題のひとつに、「どうしたら、企業が人権に取り組むことの意義を効果的に理解してもらえるか」ということがあります。

■アメリカの多様性教育は

 かつて,交流したニューヨークのADL(反差別連盟)のスタッフは、この点についてこう説明してくれました。
 @一つには個人にとって好ましいことであり、その個人によって構成される企業にとっても良いことだから。Aまた、アメリカ国内における人口構成の変化から、アフリカ系、ラテンアメリカ系、アジア系・・・それぞれの民族の増加により、マジョリティグループというものがなくなり、人びとは等しくお互いに異なり、お互いに生活し、そして働くということを学ばねばならなくなっている。B訴訟社会への対応として、雇用をはじめ様々な人権問題について訴訟が提起されないための、リスク回避の方策としてとりくむ。Cさらに、おそらくこれが一番大きな理由であろうが、職場にも顧客にも、取引先にも様々な人種・民族がいる、グローバルな企業活動の展開において、異なった価値観を互いに認め合い共生するという人権の視点が企業活動に不可欠だから。この様に明快です。

■社会的責任という言い方

 この点日本では、「営利企業がなぜ人権を」という素朴な疑問を持つ人は少なくありません。かつて、(財)自由人権協会編著『ニッポン企業人権宣言』は「日本社会、ならびに日本の企業にとって人権は良くて無縁のもの、悪くすると取扱いを間違うとトラブルのもと、厄介なものという受け止めが一般的だった」と述べました。すなわち、企業の経済活動と人権とは相反するもの、企業にとって余計なものという受け止めが強く、人権への取り組みと企業の経済活動が相互に影響を及ぼす密接な関係がある、共存するという捉え方ではありませんでした。それだけに上記の素朴な疑問に対して従来は、同和対策審議会答申の中に企業が直接的に同和問題の解決に責任を負っていることの根拠を求めたり、部落地名総鑑購入事件に対する糾弾学習会の中から企業の差別体質を認識するとともに、企業の社会的責任を深く自覚して取り組みをスタートさせたいという説明をすることが多くありました。もとより、この説明、視点は誤りではないし企業に社会的責任がありそのことを自覚し、企業も社会の構成員の一人、一市民として行動する必要があること、地名総鑑事件の糾弾が企業の取り組みのスタートとなった事は紛れもない事実です。
 そして、この「企業の社会的責任」は企業の人権への取り組みの必要性と継続性の説明として一定の説得力を持っています。が、一方ではうむを言わせぬ、いわば「社会的責任と言われてはしかたない」という思考停止に陥らせる危険も有しているように思います。思考停止に陥ることの危険性とは、時間の経過とともに取り組みの意義、意気込み、経過と実績が風化する、おざなりになる、他人事になるということです。地名総鑑事件からニ十数年経て差別身元調査事件が起きた背景にこうしたことがなかったか、自社の取り組み、研修内容、社内関係部署への発信内容を振り返り、心したいと思います。
 大切な事は、自社にとって人権啓発に取り組むということにどのような意義があるのか、この点について自分はどう考えるのか、過去の経緯、先人の取り組み、他者(社)の取り組みに学びながら自分なりの考えをもつことではないでしょうか。人権教育啓発推進法の成立を企業の啓発推進の「追い風」とはしながらも、これに頼ることなく一人称で考えたいと思います。

■人権は「もうかりまっか」

 この点について、私の企業の「社会的責任」からスタートした人権への取り組みの「今日的意義」という捉え方をしています。それは、@従業員を個として尊重するということ、そこから自尊感情が芽生える、職場・会社を誇りに思える、職場の課題が見えてくる、働きやすい職場作りへの検討の契機になる、すなわち明るい職場作りに通じる。A異なる言語、文化、習俗、習慣、価値観を互いに認め合い、共生する国際化の中の人材育成に通じる(様々な地域、国々での事業展開に、違い・多様性を認め合う視点が欠かせない)、B結果として消費者、社会から評価される(消費者は商品に大きな差がなければ、人権に取り組む企業の商品を購入したいと思う)、C学生は人権に取り組む企業に就職したいと思う。
 と、いうものです。つまるところ、人権への取り組みは結果として企業にもプラスに跳ね返ってくるということです。人権は「もうかりまっか」と問われれば,「もうかりまっせ」ということです。

いずれにしても,本当は「なぜ企業が人権の取り組みを?」などという問題提起が陳腐になるような、人権文化の創造を目指したいものです。

(たけうち・りょう NKK人権啓発室長、東京人権啓発企業連絡会)
ヒューマンライツより抜粋