福島大学 教授
和田 若人
21世紀のコンセプト -大学の授業で-

授業でグループ作業の一環として、21世紀を規定する因子をあげ絞り込んでコンセプトに導くことを行なったことがある。

因子を絞り込んでいくと、通常キーワードとしてあげられている地球、環境、女性、情報化、人権、少子高齢化、人口爆発、食糧難、難病、エネルギー、バイオ、ヒトゲノム、民族などがあがってきた。これらをよく見ると、それぞれが独立してあるのではなく、相互に関連し合い深く結びついているのではないかという意見が出てきた。

たとえば情報化といってもITはもちろんその範疇であるが、広く捉えるとDNA、ヒトゲノムも含まれる。コンピュータは情報化の基盤であるが、そのもたらすプライバシー侵害は、遺伝子治療等ヒトゲノムからも生み出され、人権をめぐる問題を内包する。環境、女性問題もまた人権問題であり、人権問題といえば民族、紛争も・・・のように連鎖は続くのである。冒頭に見たITについてもITだけで論じられるものではないということがわかってきた。

そこでさらに絞り込むと、地球環境、人口、いのち(生命科学)、仲間(コミュニケーション)、ネットワーク(情報)の五つにまとめられた。そして議論の結果、この五つに共通する要素は”変化の速さ”と”人権”、そして新世紀に向かう自分達、若者の持つべき姿勢は何か、それは”改めて生きるを問う”ということになったのである。

考えてみれば、この三つは21世紀のコンセプトといってよいだろう。何ら変哲のない平凡なことばのようであるが学生達は、自分たちの生きる21世紀は、これまでの時代の”生きる”とは違う何かを感じとったに違いない。


21世紀は人権の時代     

学生がまとめた五つの課題をつらぬく共通要素の一つは、ドッグイヤーといわれる従来の七倍のスピードで起こる”変化の速さ”もう一つは”人権”である。

なぜ人権なのであろうか。確かに五つの要素に”人類の危機”、”人としての尊厳の維持”が共通項として含まれているようだ。例えば、空気、水の汚れ(地球環境問題)は生命を危うくする、人口の爆発的増加は人類の生存の危機であり、また貧富の差を拡大する、遺伝子の操作は差別を生み出す、人種あるいは民族間の紛争はさらに一層の激化が・・・のようにである。21世紀が人権の時代といわれる一つの理由がここにある。

人権への新たな視点-人との違い、差について豊かな認識-     

平等であること、憲法にある「両性の平等」「等しく教育を受ける権利」等を出すまでもなく、これはこれからも人権活動の中で最も大きな支柱として存在し続けるだろう。しかし、特にわが国においてそうなのだが、この平等には、すべてが平等だ(すべての人間が平等に扱われるべきだ)という考えが強い。いわゆる結果の平等の追求である。

こうした考えはどこから出てきているのであろうか。米国の独立宣言で謳われているように「天賦のものとして人にして譲り渡すことのできない一定の権利」が人権であるという、天賦人権思想からであろう。

私たちの中にも、例えば賃金、生活水準が同じであるべきと思う人は多いだろうし、特に教育に関しては、能力に関係なく等しく教育を受けられることは当たり前、考えるまでもないこととなっている。

ところで、こうした”常識”は現実の社会の中から崩れ始めてきている。産業界における年功序列賃金、終身雇用制度、労働組合の崩壊、教育界における中途退学者数の増加などは「みな同じ」思想では社会がもたなくなったことを示しているのである。

さらに21世紀は、世界が縮まり(グローバル化)、これまでの七倍のスピードで変化し、地域、人種、民族、富める者・貧しき者、能力ある者・ない者の差をさらに顕にするであろう時代である。好むと好まざるとに係わらず、多様なライフスタイル、異なる価値観、異文化を受け入れる、すなわち、違いや差の大きさを認めざるをえない時代である。

こうした違い・差の拡大化、またあることが当たり前となる時代において、これまでの考えで人権問題の解決ははたして可能であろうか。人間として「同じであることと違うこと」、この両者の尊重について豊かな認識と的確な判断力を持つことが人権感覚の基盤となるのではないだろうか。

   
練習問題を考えるヒント  
1.異なる価値観の受け入れ

既にみたように、新しい世紀は、われわれ一人ひとりが違う民族と出会い、異なる文化・価値観に遭遇する時代である。こうしたケースを想定すれば、自分と異なる価値観について堂々と主張し、議論することが必要だということがわかる。同時に、日本人に多くみられる「自分と違う考えは認めない」では通用しなく、「違う考えの存在は認めるが、自分の考えは・・・」の姿勢が対処の第一歩ということも理解できよう。異なる意見・価値観の受け入れとは、違いの存在を認める姿勢と議論である。

2.人権感覚の育成
@豊かな想像力

人権感覚とは「人権に係わる問題かもしれないと気づく感覚」と言っておこう。速いスピードで変化する社会においてまず必要なことは、人(としての尊厳)を傷つけるかもしれないと気づく感覚(想像力)、そして止まる小さな勇気である。政府の人権啓発指針に「一人ひとりに人権問題を直感的に捉える感性や、日常生活で人権への配慮が態度や行動に表れるような人権感覚が身につくよう」とあるのは、歴史や理論を学ぶ前に生活の中で気づく感覚が必要だというこれまでの啓発への反省からであろう。

A結果の平等ではなく、機会の平等を

前途のように、これまでの「結果の平等」は「悪平等」となり大いに問題だ。違うこと、差のあることが当たり前の社会を迎えて、それをどう認め尊重するか、一人ひとりが考え判断基準を持つことが大切なのである。その基準も人と違ってよい。こうした姿勢を持つことこそ、違いを尊重することに結びつく。

なんびとにも多くのチャンスが等しく与えられること。そして挑戦と努力への公平な評価が平等の基盤であるというのが筆者の考えである。

B差別、差別表現に鋭い視線を

人権への感覚を磨くには、「日常の生活」での「ことば・表現」に目を向けるのがよい。大人はもちろん子ども、つまり家族で磨き合うことができる。このとき結論をひとつに集約しようとする態度は望ましくない。意見が分かれてよいのである。しかし結論に曖昧さを残すのはいけないことだ。そのための予備知識として、差別と表現の自由、そして両者に関連して差別表現について若干説明しておきたい。

差別…わが国の憲法第14条に規定されているもので知らない人はいないであろう。

「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的、又は社会関係において、差別されない。」

表現の自由…基本的人権の中で最も重要なものの一つ。憲法第21条1項

「集会、結社、及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」

差別表現…憲法第14条の差別は、特定の人について合理的理由のなく分け隔てした扱いをいうのに対し、ことば、文、身振り・素振りなどで個人や集団について人間としての尊厳を傷つける表現。
しかし、一定の定義はなされていないのが現状である。特に「表現の自由」について制約はないことが望ましいという考え(「表現の自由の優越的地位」)、また同じ表現内容であっても報道と広告では判断が異なることがある(「社会全体への利益」が違うとされる)なども差別表現の定義づけが難しい要因となっている。
ここでは次のように考える。
・差別表現
 1.ある個人や集団に対して、偏見、誹謗、侮辱など、著しく傷つける表現
 2.現に存在する差別を、温存・助長することに結びつく表現

C差別表現の規制

わが国では差別表現について法的規制は無い。だからといって、人を傷つける表現があってよいわけではない。このことは、差別表現問題を複雑にする要因となっている。主張を通そうとするあまり、差別と指摘する側、される側の両者がより強く反発し感情的になりがちだ。差別があってはならないことに違いがないのであり、これへ向けて厳しくも忌憚のない議論の交換(違いの尊重)こそより豊かな道につながるだろう。特に21世紀のグローバル社会では、差別する側、される側という固定的な図式はないのである。

また、「表現の自由」をあくまで維持するためにも、差別表現問題を自律的に解決することが望ましいのである。

3.練習問題検討点
@問題1…

不倫が人権問題かどうか。メッセージの内容で問題点は。二人の妻への対応はどうか。なぜメールが使われたか。人を誹謗、攻撃する手段にメールが使われやすいのではないか。IT時代としてどう対処するべきか。

A問題2…

「酋長」の差別性で意見が分かれたとき、無理に妥協すべきか。一般的な意味合いでの差別性とそのケースにおける差別性とは必ずしも同じではない。IT時代を迎え、全地球的視野での検討が必要。

B問題3…

自分がその調整する立場になったときどうするか。これも全地球的視野での検討が必要。