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社団法人 大阪国際理解教育研究センター
理事長 鄭 早苗
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●うわさの真相
ハワイの日本人は賃金と労働時間などの改善を求める闘争を起こし、ダイナマイト事件まで起こしましたが、この闘争に対してハワイの人々は騒擾事件とみなしませんでした。
しかしほぼ同じ時期に日本では今も語り継がれている関東大震災後の朝鮮人虐殺事件が引き起こされました。1923年(大正12年)9月1日の震災当時、関東地方にはおよそ2万人の朝鮮人が住んでいたといわれます。震災直後から「朝鮮人が騒擾事件を起こそうと企んでいる」といううわさが飛び交い、このうわさに扇動された普通の日本人が朝鮮人を6千人ほど虐殺したのです。震災のパニック状況下でひとり朝鮮人だけが冷静に徒党を組み、日頃受けている民族差別の復讐を企てて騒擾事件を起こすという噂をなぜ信じたのかという歴史こそが、現在までに検証されておかれるべきであったと思います。
実際朝鮮人は騒擾事件を起こさなかったのですから、朝鮮人から見れば、むしろ騒擾事件を起こしたのは日本人であり、その犠牲者こそが朝鮮人だったのです。
戦後の大阪で起こった吹田事件では在日コリアンがまるで極左冒険主義者であるかのように見なされたこともありました。この事件はコリアンが単独で行ったわけではなく、日本社会の運動と連動していたのですが、在日コリアンは社会不安を引き起こしかねない存在だと見なされたことに変わりはありませんでした。しかし、在日コリアンの現実はハワイの日系人と同じこと、不安定で賃金安く、長い労働時間に甘んじながら、ひたすら家族のためにまじめに働く人々だったのです。ここのところを私は特に強調したいのです。
●なぜ民族性は大切なのか?
親や祖父母のルーツを大事にして、伝統的な民族文化を育成し身に付けさせたいと願うのは民族の共通性でしょうか。
複数世代が家族として和気藹々と暮らしたいという思いからすれば、民族のルーツが家族の中で脈々と受け継がれていくのは自然の人情です。中南米の人々はスペイン語とポルトガル語で日常生活を送っていますし、江戸時代からイギリスに支配されていたインド人は英語を話せる人が多くいますが、民族性はそれぞれスペイン的でもポルトガル的でもイギリス的でもないようです。
在日コリアンも日本語が母語になってしまいましたが、だからといって民族性が日本民族と同一化しているとはいえません。植民地時代にあれだけ同化主義が横行してもコリアンがジャパナイズ化されたとは言えないのです。
私の知人に赤ちゃんの時に韓国からスウェーデンに養子にもらわれて行った人がいます。スウェーデンの親は彼に韓国語を完全に話せるように育てましたので、成人した彼は大学で東洋学を専攻し、韓国へ何度も足を運びスウェーデンの両親に感謝しながらスウェーデンの文化と韓国文化を調和させて人生を豊かに暮らしています。アメリカでも韓国から養子縁組をした子どもたちの民族的ルーツを育成し、養父母自身が韓国文化を理解しようとして、毎年韓国から指導員を招待して民族文化を知るためのワークショップを行い、民族料理や民俗芸能を子どもたちと一緒に楽しんでいる親たちがいます。
これらの養父母は子どものためには民族文化を身に付けさせることが大切であることを知っているために、本当なら養父母と同じ生活パターンで教育した方が手間隙がかからないでしょうに、あえて多くの時間とお金をかけて養子の人生を豊かにしているのだと思います。
ルール的には「郷に入れば郷に従う」が必要でしょうが、文化・習慣・宗教的に同化するか否かはあくまでも本人の意思次第でしょう。また人は誰でも親のルーツを否定されたり、軽蔑されたりしたくないはずです。生みの親が否定されるとなれば、その子は自分の出生に自信を無くすことでしょう。
「生まれてきて良かったんだよ」ということを子どもに伝えるために、その子の背景である民族文化を養父母が理解して取り入れ、その子に自信をつけさせるとは、本当に懐の深い養父母たちだと思います。
●在日コリアンとは
話を在日外国人に戻します。日本に住む外国人は二つの立場があります。一つは「旧植民地出身者とその子孫」、二つ目は便宜的に「一般外国人」とさせていただきます。
少しややこしいですがしばらく我慢して読んでください。まず、一般外国人から簡単に述べてみます。留学生、就学生という勉学を目的に日本に入国してきた外国人、日本人との婚姻によって日本にやってきた外国人、外国人との婚姻によりその子もしくは配偶者の国籍が日本籍でなく外国籍を取得した外国人、就労で日本にやってきた外国人、ブラジルやペルーの日系人、中国残留帰国者の家族たち、日米安保条約に基いて日本に滞在するアメリカ人、戦前から日本に引き続き住む旧植民地出身者以外の外国人、そして難民などです。
在留資格は入国時の条件によってそれぞれ異なりますが3か月以上日本に滞在する人は外国人登録をし、その後在日する条件が変わったり更新するときには手続きをしなおします。
旧植民地出身者とその子孫の在留資格は特別永住ですが7年ごとの更新が必要で、また海外へ行くときは再入国許可を受けないと在留資格に変更が起こったり、非常に面倒な手続きをしなければなりません。私も海外に行くときは必ず再入国の期限を確認していきます。
今から18年ほど前のことですが、空港で次のようなことを経験しました。数次再入国許可ではなく一次再入国許可しかなかったころ、韓国から日本へ帰るコースが、いったん東京の空港に立ち寄ってから大阪へ帰るコースでした。
家族はそのことを知りませんから心配しているだろうと思い、東京に着いた時に電話をしようとしたところ、小銭がありません。午後7時をまわっていたと思いますが、出口のイミグレーションにはもちろん売店はありません。荷物検査をする人にお金を変えてくれるところがないかと尋ねましたが「ない」の一言です。すぐ目前の出口の向こうには公衆電話と売店が開いているので、「すぐに終わりますから、出させてください」と頼みますと、「それはかまわないけれど、君の再入国は1回きりなので、ここを出ればもう入って来られないよ」といわれ本当に困りました。私が出口を通れば日本に入国したことになりますからだめだということです。
仕方ない、誰かに小銭をもらおうとしていたところ、人少なくなった構内を清掃している私ぐらいの年齢の女性がいとも簡単に「いいよ」と言って、100円くらいだったと思いますが下さいました。本当に助かりました。さすがにその時は、自分は日本で生まれて日本で育ち、日本でしか生活根拠地がないのに法的になんと不自由なのだと痛感した出来事でした。
今は数次入国許可ができましたから、だいぶ楽になりました。
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