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●はじめに 在日コリアンという名称から簡単に説明します。1897年に国名を大韓帝国に改称した13年後の1910年10月に韓国は日本の植民地になりますが、その前月に併合後の朝鮮半島の名称を「朝鮮」にすることが天皇の勅令で定まります。日本によって定められた「朝鮮」の呼称に抵抗心があったのかどうか調べていませんが、1919年に日本からの独立を願う「三・一独立運動」(3月1日、現在のソウルを中心として起った民族独立運動)では「大韓独立」とか「韓国独立」という呼称が使われています。日本から解放されて3年後の1948年に現在の大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立するなどして、在日の呼称も在日韓国人、在日朝鮮人、在日韓国・朝鮮人など人により呼称が違いますので、近年では昔の高麗国の西洋風呼び方からきた「コリアン」を便宜的に使うようになってきました。 ●行動しなければグローバルもボーダレスもない? かつて外国人登録証表面に貼り付けられている左手人差し指の指紋を見るのは、自分のものであっても気分の悪いものでした。指紋を用紙に押すという行為が不愉快というよりも、はなから自分は日本社会から信用されていないのだという疎外感がくやしく、個人の努力を超えた社会的圧力を実感したものです。在日コリアンは将来何か犯罪者になる可能性がありそうなのであらかじめ指紋登録をさせて、何かあった時に指紋を照合するシステムになっているのだろうと漠然と思っていましたが、実際のところ指紋押捺は実用的でなかったということでした。とりあえず指紋問題に関してはグローバル化したと言えますが、これも在日コリアンをはじめとする人々の運動があったからです。座してくやしく思うだけでは何も進歩しないのです。 人は信用されてこそ社会の中で無邪気に生き生きと暮らしていけると思うのですが、冷たい視線を感じ続けたり、信用されていないと察知しながら生活することはつらいことです。まして、外国人登録は満16歳から義務付けられていますので、戦後長期間にわたって、16歳の若者からも指紋を採取してきたことは本当に良くないことだったと思います。 疎外感の例をもう少し紹介します。私ごとですが、最近東京のホテルでチェックインしましたとき、パスポートの提示を求められました。チェックインの時に前金を払うホテルでのことです。日本人客にもそのホテルは前金を受け取りながら、さらに身分証明書の提示を求めるのでしょうか。また在日旧植民地出身者はパスポートを持たない人も少なくないのです。この人たちがパスポートの提示を求められたら戸惑うでしょう。なかには、「日本人の名前をかたってもホテル側がいちいち調べるわけがないから適当な日本人名を書いたら良いではないか。いちいちそんな硬いことを言って日本を批判しなくても良いでしょう」と、便宜的な意見を持つ人もいるかもしれません。しかし、自分を見知らぬでっち上げの人物に仮託するとは情けないことですし、自分の子どもに恥ずかしくてとても打ち明けられることではありません。 ●日系ハワイの人々と在日コリアン 在日コリアンの場合、植民地時代は日本民族への同化政策が取られ、コリアンとしての民族性は否定されていましたし、植民地人も一応は日本人とされ、さらに天皇の赤子といわれて戦争にも狩り出され、さらに民族名から日本的名称変更への強要までありましたから、植民地時代に民族学校を経営するなど許されないことでした。しかし、戦後在日コリアンは子どもたちに対する民族性の回復を願って日本各地に民族学校を建設し自主運営してきたのです。残念ながら日本にある外国人学校のなかで、現在日本政府から「学校」と認められているのは大阪にある韓国系の金剛学園と白頭学院だけですが。 |
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