社団法人 大阪国際理解教育研究センター
理事長  鄭 早苗

はじめに
 在日外国人のなかのコリアンとして「井の中の蛙大海を知らず」にならないようにしなければ、と自分を戒めることが多くなってきました。人は自分の属するところから世の中を見るのは致し方ないことですが、それではせっかくの人生が狭い世界しか知らないうちに終わってしまいます。私が外国小説や時代小説を読み、最近ではわけがわからないままにヒトゲノムとやらの本にも少しだけですが目を通したのは、遅れをとりたくないという思いと、まだ若干残っている知的好奇心のせいでもありますが、何よりも自分の主張が世の中とずれること少なく、また出来るだけ間違わないようにしなければという思いからです。

 在日コリアンという名称から簡単に説明します。1897年に国名を大韓帝国に改称した13年後の1910年10月に韓国は日本の植民地になりますが、その前月に併合後の朝鮮半島の名称を「朝鮮」にすることが天皇の勅令で定まります。日本によって定められた「朝鮮」の呼称に抵抗心があったのかどうか調べていませんが、1919年に日本からの独立を願う「三・一独立運動」(3月1日、現在のソウルを中心として起った民族独立運動)では「大韓独立」とか「韓国独立」という呼称が使われています。日本から解放されて3年後の1948年に現在の大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立するなどして、在日の呼称も在日韓国人、在日朝鮮人、在日韓国・朝鮮人など人により呼称が違いますので、近年では昔の高麗国の西洋風呼び方からきた「コリアン」を便宜的に使うようになってきました。

行動しなければグローバルもボーダレスもない?
 一時期グローバルとかボーダレスの時代といわれてきましたが、最近はあまり聞かなくなってきたように感じます。もちろん情報のグローバル化はもうどうにも止まらないでしょうが、日常生活において人は結構保守的ですから、言葉が先行しても現実と乖離していると感じる人が多いから使わなくなったのか、あるいは他に理由があるのか分かりません。ただ、4月9日に石原東京都知事が「今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している云々」と発言されて以来各方面に多くの波紋を及ぼしましたが、この発言などはまさにグローバル、ボーダレスという言葉とはかけ離れていると思われます。しかし、在日外国人と関わることで一歩前進したと考えられることもあります。今年の4月から外国人登録証に指紋押捺が完全に廃止されたことです。その他の項目では外国人登録証はまだ問題点を残したままですが。

 かつて外国人登録証表面に貼り付けられている左手人差し指の指紋を見るのは、自分のものであっても気分の悪いものでした。指紋を用紙に押すという行為が不愉快というよりも、はなから自分は日本社会から信用されていないのだという疎外感がくやしく、個人の努力を超えた社会的圧力を実感したものです。在日コリアンは将来何か犯罪者になる可能性がありそうなのであらかじめ指紋登録をさせて、何かあった時に指紋を照合するシステムになっているのだろうと漠然と思っていましたが、実際のところ指紋押捺は実用的でなかったということでした。とりあえず指紋問題に関してはグローバル化したと言えますが、これも在日コリアンをはじめとする人々の運動があったからです。座してくやしく思うだけでは何も進歩しないのです。

 人は信用されてこそ社会の中で無邪気に生き生きと暮らしていけると思うのですが、冷たい視線を感じ続けたり、信用されていないと察知しながら生活することはつらいことです。まして、外国人登録は満16歳から義務付けられていますので、戦後長期間にわたって、16歳の若者からも指紋を採取してきたことは本当に良くないことだったと思います。

 疎外感の例をもう少し紹介します。私ごとですが、最近東京のホテルでチェックインしましたとき、パスポートの提示を求められました。チェックインの時に前金を払うホテルでのことです。日本人客にもそのホテルは前金を受け取りながら、さらに身分証明書の提示を求めるのでしょうか。また在日旧植民地出身者はパスポートを持たない人も少なくないのです。この人たちがパスポートの提示を求められたら戸惑うでしょう。なかには、「日本人の名前をかたってもホテル側がいちいち調べるわけがないから適当な日本人名を書いたら良いではないか。いちいちそんな硬いことを言って日本を批判しなくても良いでしょう」と、便宜的な意見を持つ人もいるかもしれません。しかし、自分を見知らぬでっち上げの人物に仮託するとは情けないことですし、自分の子どもに恥ずかしくてとても打ち明けられることではありません。

日系ハワイの人々と在日コリアン
 日系人の方々となら話が通じるように感じる時があります。異国、異民族の中で暮らしてきたもろもろの問題点と苦労については共通点があるようです。在日外国人はそれぞれ中華学校、アメリカンスクール、カナディアンスクール、在日コリアンの民族学校等を建てて自主運営していますが、一番多いのが在日コリアンの民族学校で幼・小・中・高・大学を合わせておよそ160校あります。ハワイに移民した日本人もかつて多くの日本人学校を経営していました。たとえば1918年のハワイにおける日本人学校は146校あったといわれます。第一次世界大戦後に当たるこの時期のアメリカは、ハワイに対して「一国家、一国旗、一国語」のキャンペーンを打って多民族社会を安定させようとしていました。さらにこの当時、日本は台湾、サハリン、朝鮮半島を領土にしていただけでなく、ハワイ全人口の四八パーセントが日本人であったという状況から「ハワイの日本化」を恐れる風潮もありました。ハワイにおける日本人の状況は厳しいさなかにあったのですが、1万8166人の子どもを日本人学校に通わせ、日本語をはじめとする日本民族としての教育を行っていたのです。

 在日コリアンの場合、植民地時代は日本民族への同化政策が取られ、コリアンとしての民族性は否定されていましたし、植民地人も一応は日本人とされ、さらに天皇の赤子といわれて戦争にも狩り出され、さらに民族名から日本的名称変更への強要までありましたから、植民地時代に民族学校を経営するなど許されないことでした。しかし、戦後在日コリアンは子どもたちに対する民族性の回復を願って日本各地に民族学校を建設し自主運営してきたのです。残念ながら日本にある外国人学校のなかで、現在日本政府から「学校」と認められているのは大阪にある韓国系の金剛学園と白頭学院だけですが。


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