『公正な採用選考を考える』(その3)               

東京都同和教育研究協議会
事務局長 松 浦 利 貞 様(講演録より)

  民族差別について

 今、日本に65万人ぐらいの在日朝鮮人、韓国籍、朝鮮籍の方がいます。一見、差別はなさそうに見えるんですけれども、実は東京では部落差別よりも朝鮮人に対する差別のほうがよく見えるという面はあると思うんですね。私の学校に来る生徒たちに対して、「朝鮮人なんだから朝鮮の名前、本名を使ったら」と言います。でも、生徒たちは大体それまで日本名を使っていますので、それで変わる子もいますけれども、簡単には変わりません。

 「今まで差別されたことがあるの」と聞くと、昔はたくさんあるんですね。でも最近の子は「差別はない」と。「小学校、中学校、いろいろと振り返ってみても差別の経験はない」というふうに答えるんです。「ないんだったら本名にしていいんじゃないの」というと、でも「本名は嫌だ。だって差別されるに決まっている」ということで、今までは経験はないかもしれないけれども、これからどこで差別されるかわからない、そういう気持ちは部落の子もそうですし、朝鮮人の子も持っています。

 以前は、言い方はあまりよくないかと思いますけれども、東京大学を出ても朝鮮人はなかなか就職できなくて、親戚や親が経営する焼肉屋さんとか、パチンコ屋さんにしか行けなかったという実態があったわけですが、今は違います。私が担任していた生徒たちもすごく頑張って、東大に入った子もいますし、京都大学に入った子もいます(そんなことを言ってもしょうがないんですけれど)。それぞれ大きな企業に行ったり、あるいは弁護士さんになったりとか、公務員になる人たちもいます。いろんなところで活躍をしています。

 以前は朝鮮人の生徒を担任しても生徒たちはあまりやる気がなかったんですね。「だって勉強したって、大学に行ったってしょうがない。どこも採ってくれないんだから」。でも今は違う。「頑張ればちゃんと大きな企業にも入れるし、それから公務員にもなれるし、頑張れよ」ということで生徒たちは頑張ってはいます。頑張ったら、確かに以前に比べていろんな企業に入ってはいるんですけれども、差別がないかというとやはりそうではなくて、「部落の人だから駄目です」ということを堂々と言う企業は今はあまりないんですが、「外国人は困ります」というような形でもって、朝鮮人を排除する企業はたくさんあります。特に在日朝鮮人は、日本語は生まれたときからですからペラペラなんですけれども、「この人は日本語は大丈夫ですか」とかいうようなことで、まるで理解がありません。そういうことでかなり偏見がありますし、それから特に朝鮮系の民族学校(民族学校は決して朝鮮籍の人だけじゃなくて韓国籍の人も入っていますし、いろんな人たちが入ってはいるんですけれども、)に対する襲撃事件といいますか、チマチョゴリを来た女の子たちが電車の中でいろいろと悪口を言われたり、場合によってはナイフで服を切られたりということがあるわけですが、そういう偏見というのはまだまだあります。生徒たちも「べつに朝鮮人差別はしてないんだよ」と言いながら、私の学校でもそうですけれども、「チョン」という言い方があるんですね。朝鮮人をチョンとか、高校ですとチョン高、中学だとチョン中というような形でもって。それは非常に差別的な表現で、生徒たちはかなり差別意識を持っているけれども、言っている本人は別に差別をしているつもりじゃなくて、「チョン中、チョン中」と言っている。「それはやっぱりおかしいよ」ということになるんですが、「みんなが言っているからそうなんだ」と。「みんな言っていてもやはりそれは非常に差別的な、またお前自身が偏見を持っているんだ」というふうに言うんですけれども、その偏見や差別意識がかなりあるわけで、そのことは企業の就職や社会生活の中でも様々に表れているということが言えます。また、アパートを借りるとかいう場合にも間違いなく差別をされるということは、ほとんどの朝鮮人が経験しています。

 こういう中で、私たちは学校で同和教育に取り組んでいるわけですが、同和教育の考え方をうまく表した有名な詩がございます。皆さんもご存じかもしれませんが、ちょっと紹介させていただきます。丸岡忠雄さんという方の『ふるさと』という詩なんです。

"ふるさとをかくす"ことを
父は
けもののような鋭さで覚えた   

ふるさとをあばかれ   
いし縊死した友がいた   
ふるさとを告白し   
(いいなずけ)許婚者に去られた友がいた  

吾子よ
お前には
胸張ってふるさとを名のらせたい  
瞳をあげ 何のためらいもなく
"これが私のふるさとです"と名のらせたい

という父親の気持ちをうたったわけですが、部落だということを隠している。部落ということを名乗って差別を受けることは非常に多いということですけれども、やはり胸を張って自分のふるさと、自分が部落出身であるということを名のらせたいという気持ち、これは朝鮮人の場合もすべて同じだと思います。それは同和教育の根本だと思うんですね。堂々と胸を張って自分が部落出身であり、朝鮮人であることが言えるような社会であってほしいし、そのためにはまわりの人間がそのことについてきちんと理解しなければできない。ただ被差別の当事者が頑張ってもしょうがないわけなんで、まわりがそれに対してどういうふうに受け止めるのかということが大切なわけですから、そういうことで差別されている当事者が頑張り、またまわりの者がきちんとそのことについて受け止め、理解できるような教育、これが同和教育だというふうに思っております。まだなかなか十分にはできないわけですけれども、学校現場ではそういう取り組みを少しずつ始めているということです。

  「障害者」差別および健康診断について

 この資料の中にもございますけれども、1997年にこれまでの障害者の雇用率が1.6パーセントから1.8パーセントに上がったというのがありますね。もう一つ変更点は、これまでは身体障害者、どちらかというと肢体不自由の人たちに対する雇用率であったのが、今度は知的障害を含めた障害者の雇用率ということで、変更されました。パーセンテージも1.6パーセントから1.8パーセントに変わっています。

 私もいろんな学校で障害を持った生徒と関わりがあったんですが、やはりそこで考えるのは障害者の就職が非常に厳しいということです。障害者枠をまだ十分採りきっていないといいますか、これだけの雇用率を満たしていない会社もたくさんあるわけなんで、何とか採用してほしいなということで取り組みもしましたけれども、非常に難しいわけですね。

 また、会社のほうの採用の仕方も重度の障害者がなかなか難しいんですね。同じ障害でもやはり軽度の障害が優先されて、一番何とかしてほしいと思う重度の障害者がなかなか採用されないという実態と、それからやはり肢体不自由の人たちは比較的いいですね。これは学校なんかでもそうなんですけれども、肢体不自由でわりあい学力もあり、成績もいい人たちは歓迎されます。学校でもその人たちが入学することについては反対はありません。

 ただ、知的障害ということで点数が取れない、0点しか取れないという生徒が高校に入ろうとすると「何で高校に入ってくるのか」ということで、なかなか理解がないし、会社の中でも「肢体不自由でも十分学力もあるし、いろんな仕事ができる人たちはいいけれども、そういう仕事ができない人はやはり困る」という発想があるわけで、でもやはりそこを何とかしてほしいなというふうに思っております。

 今、早稲田大学で有名な学生といいますと、広末涼子さんがまず出てくるんだと思いますけれども、もう一人、乙武洋匡さんという大変有名な方がいます。『五体不満足』という今ベストセラーになっている本ですが、お読みになった方もたくさんいらっしゃると思いますけれども、私も読みましてたいへん感動をしました。いわゆる五体満足というけれども、彼は両手両足がないということで、でも頑張って早稲田大学の政経学部に入っているというわけですから、それだけでもすごいということにはなるんですけれども、本を読んだだけではわからない部分があるわけですね。

 両手両足がないけれど、彼は小学校時代にプールで25メートル泳いでいる。それから中学時代はバスケットボール部に入って試合にも出た。それから高校時代はアメフト部に入っているというわけですから、どんなことをやって頑張っているんだろうなとついつい思っちゃうわけです。黒柳徹子さんの「徹子の部屋」という午後にやっているテレビ番組に乙武さんが出演したのを見たことがありますが、彼の行動とか発言を聞いてみますと、やはり本の通りにさわやかな元気のいい青年でいいなと思いました。確かにこの人は何でもできるんだなというふうに思えるわけですが、その本の中で、「障害を持っているというと、みんな暗くて不幸な感じになるけれども、僕は毎日楽しい。障害があるからといって別に不幸なわけじゃない」。「障害は不便です。でも不幸ではありません」というヘレン・ケラーさんが言われた言葉を引用して、「障害は確かに不便なところはあるけれども、決して不幸ではないんだ、僕は楽しく元気よくやっています」ということなんですね。

  本を読みますと、「自分は障害者だから障害者にしかできない仕事、障害者の立場からバリアフリーといいますか、障害にとって不都合なものをなくしていく取り組みをやりたいな」というふうなことを書かれていましたけれども、黒柳さんとの対話の中では、「自分は障害者だから障害者の仕事をするというよりも、障害とは関係ない仕事をやってみたいな。障害者だから障害者の仕事をするというのはかえって変なんじゃないかな」というふうにもっともっと自分のやりたい、あるいはやれる分野を広げていきたいという積極的な話をされていました。

 もう一人、私の知り合いで、私の友人が担任した全盲の青年がいるんですが、この生徒は盲学校に在籍したんじゃないんです。小学校、中学校、高校、全部地域の学校で、都立高校を出まして、大学に入りました。この3月に卒業して去年100社ぐらい就職試験のために回ったそうです。たぶんここにいらっしゃる方の会社も回ったんではないかなとも思われますけれども、100社ぐらい回った。全部断られたということなんですね。まったく目が見えないんですけれども、要するに会社の対応は障害についてまったくわかっていない。

 たとえば、「介助の人が待っている部屋はございませんよ」とか、全然介助の人なんかいらないんですね。一人でも東京中を歩き回っていますから、会社に来るのだってもちろん最初は案内してもらう必要があるかもしれませんけれども、いったん道がわかればさっさと歩いてこれるというわけで介助の人なんかいらないんですけれども、「介助の人が待っている部屋はありませんよ」とか、「私はいいんだけれども、うちは客商売ですからお客さんがどう見るか、困ります」と。

 これはよくあるんですけれども、朝鮮人の場合でもそうなんですね。朝鮮人がアパートを借りるときに、不動産屋が「私はいいんですけれども大家さんが駄目だ」、大家さんは「私はいいんだけれども同居人がいやがります」ということでみんな人のせいにしちゃうんですけれども、本当は自分が嫌なんだというふうに思うんです。「私はいいんだけれども、うちの会社はお客商売だから困ります」というような言い方をしているんですが、彼はスキーをやります。スキーもやれば、ダイビングもやれば、パソコンでも普通に文章を作りますし、いろんなことができるんですね。

  ですから、彼はこういうことを言っているんです。「自分も障害があるから、障害者関係の仕事に就こうかと思ったけれども、やりたいことはたくさんあるんだ。今は障害に関係ない仕事をやりたいと思っているんだ」と言っているんですね。会社の人たちは障害でものを見ないで、人間を見てほしい。盲人というと目が見えないからこれもできない、あれもできないというふうに思いこんじゃうんだけれども、人を見たらそんなことはない。この人はこれもできる、あれもできるということで、いろんなことができるわけなんですね。

 たとえば、今の生徒の家庭教師をやっていました先輩がいるんですが、この人は茨城大学で歴史を勉強して都立大で経済学部に学士入学して、それから早稲田の教育学部にまた学士入学して、早稲田の大学院を出てという経歴を持っているんですが、「学校の先生になりたい」と。この間、沖縄県で全盲の教員が誕生したという新聞報道がされまして、「ああ、よかったな」と思ったんですけれども、今私の紹介する人も実は都立高校の教員になろうと思ったんですが、結局なれなかったんですね。

 私が前にいた学校で彼を非常勤講師として招きました。「まったく目が見えなくてどうやって授業をやるんだろうか」ということで、私もちょっと心配はありましたけれども、全然心配ないんですね。まず町中平気で歩きます。駅なんかでも、いわゆる盲人用の点字ブロックのある道を歩くわけですけれども、邪魔な人がたくさんいるらしいんですね。邪魔な人間がいるのでみんな蹴飛ばして歩いて、普通に生活できているわけです。お酒が大好きで、しょっちゅう階段を転げ落ちているような猛者のところもあるんですけれども、スキーもできるし、いろんなことができるんですね。

 授業のほうもまずプリント教材は、盲人用のワープロで印刷まで、できるんです。ただ職員室の印刷機で大量に印刷することはできなかった(これも慣れればできると思うが)。また、実際の授業では教室の黒板に字を書きます。まったく目が見えなくて、漢字や仮名が書けるというと、びっくりされる方がいるかも知れませんが、それは偏見です。普通に板書できるんですね。

 生徒に対しては、目が見えないから生徒のほうから声を掛けないとわかりません。だから生徒のほうから声を掛けるようにという指示をする。生徒はもう感動しちゃっていますから、大体みんな先生に協力をするんですけれども、出席簿は点字で自分で作っていますので出席はとります。生徒はちゃんと「はい」と返事をする。

 それから、ものすごく記憶力がいい優秀な人なんですね。授業の2、3回目で生徒の声をみんな、「先生、こんにちは」というと「ああ、何々君」「ああ、何々さん」というようなことで全部聞き分けるんですね。そういう能力があるといいますか、でも「目が見えないから危ないとか、目が見えないから駄目じゃないか」ということで教員は無理という考えは強い。今は資格で、目が見えなかったり、耳が聞こえないと、たとえばお医者さんは駄目だとか、看護婦さんは駄目だとか、美容師さんは駄目だとか、いろいろ駄目という欠格条項があるわけですね。それを全部見直そうということで、ようやく政府のほうも重い腰を上げているということがありますので、ぜひ企業のほうでも障害者に対する偏見ではなくて、それぞれの人を見て何ができるんだろうか、確かに若干の補助が必要な部分はあるけれども大した補助ではない、いろんなことをできる人たちがいるわけなので、ぜひそれをお考えいただきたいなというふうに思っています。

  もう一つの問題は、元気な人、力のある人はいいんですけれども、力のない人はたくさんいるわけですね。知的障害の人たちもそうですし、やはりいわゆる重い障害者ということになりますけれども、この人たちはなかなか大変なので、でもその人たちを何とかしてほしいなと思います。今まで比較的重い障害者を採用してくれたのは、町の中小・零細企業の人たちだったんですね。しかし、今は不景気ですから、中小・零細企業の人たちもそういう障害者を雇う余裕がない。同じ不景気で、それは大企業だって同じだということになるかもしれませんけれども、それはやはり大企業のほうでそういう障害者を積極的に雇用することを考えていただきたい。確かに仕事の面で中小・零細企業のほうが仕事を選びやすいというか、仕事がある。大企業はなかなか仕事がないという面があるんだとは思いますけれども、そのへんをぜひ考えていただけるとありがたいと思います。

 健康診断についてですが、昔から身体強健というのは大きな条件でして、やはり健康でないと困るということで、健康診断をされているかと思いますが、ただこれは今は雇い入れ時の話でして、「選考のときに健康診断をしろ」と言っているわけではないということはかなりご理解いただけるかと思います。健康の問題というのはやはり相対的なものでして、今、健康だからといってずうっと健康だとは限らない。今、健康な人が病気になって早死にしちゃうというのはいくらでもありますし、がんで亡くなっちゃうとか、お酒を飲みすぎて亡くなっちゃうとかということはいくらでもあります。一方、今はあまり健康じゃないように見えても、体に気を付けて頑張りますと長生きするということもあるわけなんで、かなり相対的な問題です。

 これも相当前の話なんですけれども、東京の部落出身の高校生が横浜市の採用試験を受けましたときに、血圧が高いということで落とされました。でも本当は親の職業をはじめとして、いろんなことを細かく聞かれて、たぶん部落差別だというふうに思っているわけですけれども、落ちた理由は部落差別ではありませんで、血圧が高いということでした。でも、いろいろと交渉しまして、出てきました横浜市の人事部長さん、顔がずいぶん赤いので、「部長さん、もしかして血圧が高いんじゃないですか」と言ったら、「うん、私も血圧が高いんですよ」、「血圧が高くて人事部長が務まるんだから、血圧が高い生徒を採用していただいてもいいんじゃないか」ということで、「確かにそうですね」というので再試験をしていただきまして、採用していただいたんです。健康診断というのも非常に正確な部分とちょっといい加減な部分と両方あるものですから、そのへんも十分考えて、健康診断についてはやはり差別につながる可能性が非常に高いということで、ぜひご検討いただきたいと思うんです。
時間がありませんのであとは省略させていただきます。

  統一応募用紙改定と「公正」な採用選考

 統一応募用紙は1996年度に大幅に改定されまして、さきほど申し上げましたように本籍欄と家族欄がなくなりました。その結果、アンケートが増えちゃったというような面もありますけれども、今、私たちの内部でこのへんも問題があるんじゃないかな。保護者欄もまだ残っているんですね。それから課程、全日制か、定時制かということがわかるようになっていますね。それから写真がある。それから調査書の身体状況がある。これは果たして必要なんだろうかということで、議論を始めていまして、要らないんじゃないかなというふうには思ってはいるんですが、労働省のほうも「まだ改定した統一応募用紙の趣旨も十分徹底されていない。そこまでいっちゃったらやりすぎですから、まだもう少し待っていてください」ということにはなっているんですけれども、問題だとは思っているんですね。

 実は、今年、まだ事件としては起きたばかりなんですが、都立高校の定時制の生徒がある会社を受けました。そうしましたら、保護者がお母さんの名前なんですね。ですから母子家庭だということがわかるわけなんで、「お父さんはどうされたんですか」というところから始まって、家庭のことを詳しく聞かれたんですね。それは問題なんだというので、その会社を受けた他の学校はないかということで、聞きましたらありました。他の学校はお父さんの名前なんですね。お父さんの名前なのに、「お母さんはどうしたんですか」と聞いているんですね。

 ということは、お母さんが書いてあればそれはたぶん母子家庭だから聞くんですけれども、お父さんでも問題だと。お父さんでも父子家庭の子がいるわけだからということで、お父さんでも「お母さんはどうしたんですか」と聞いているので、その会社は要するに母子家庭、父子家庭については問題があると思っていることがはっきりするわけですね。そういうことでこれはたいへん問題だと思います。

  それからもう一つ早期選考の問題があります。これまで高卒を30人、50人、100人採っていただいていた会社が、今年は5人とか、10人とか、1人とか、そういう会社が増えていますのでなかなか大変だとは思うんですけれども、かなりの会社が早期選考をやっていますので、夏休み中の会社見学の際に事実上の内定を決めています。この定時制生徒は普通に9月5日に申し入れをして、9月17日に試験を受けたんです。

 ところが1人だけ試験を受けさせられたんですね。会社のほうの説明は、「9月16日に試験をやって、遅れたこの子は9月17日に試験をやりました」というんですけれども、実は夏休み中にほとんど決まっていたんです。ですから、嘘をついてアリバイで、はじめから採る気もないのに試験をやって、さらには母子家庭ということを確かめるためにいろんな詳しいことを聞いて、最終的には駄目という返事がありました。「それはおかしいんじゃないか」ということで、学校のほうが会社に申し入れをしまして、一応会社から「再試験をします」というふうに返事をいただきました。

 ただ、今度は子どものほうが揺れちゃいますね。今でもそうなんですけれども、せっかく入ろう、頑張ろうと思って頑張った生徒が落とされた。しかも落とされたのにはいろんな問題がある。学校のほうで話をしてくれて、「もう一度受けさせてあげる」と言ってくれたけれども、「これで会社に入ってからいじめられては嫌だし、また受けたら間違いなく合格できるかというとまた落とされるかもしれない。もう嫌だ」ということで子どものほうが揺れていまして、本当はそういうことを乗り越えて頑張ってもらわなくちゃ困るわけなんで、先生のほうも今、生徒と話をしています。これからどうなるかわからないんですけれども、一応会社のほうは、「先生と生徒の話を待ってからもう一度試験をやっても結構です」という話にはなっていますが、非常に問題があると思っています。

 そういうことで統一応募用紙について、保護者欄があることによってやはり差別がある。それから全日制か、定時制かということがわかることによってもやはり差別があるということで、そのへんをちょっと考えております。

 公正な採用選考ということは、やはりさきほども申し上げましたように、偏見をやめてほしい。部落はこういう人たちなのかな、朝鮮人はこうなのかな、障害者・肢体不自由な人はこうかな、目が見えないとこうなるのかな、知的障害者だとこうなのかな、あるいは女性はこうなんじゃないかなとか、ということで相手を見ないで、あらかじめこういうものだという概念を自分たちの中で作ってしまうわけで、そうしないでやはりその人を見てほしい。たとえば目が見えないものだからこういうことのできない人もいるだろうし、目が見えなくてもそんなことは簡単にできる人もいるだろうし、人によってみんな違うわけですから、そういう意味ではやはりそれぞれの人間をぜひ正しく見てほしいというお願いをしたいと思うんです。

 それからもうひとつ、今までも何度かお話を申し上げたことがあるんですが、今は差別につながるものは一切聞いちゃいけないということになっています。でも、同和教育の立場はさきほどお話をしましたように、自分のふるさとのことを胸を張って言えるような、そういう子に育てたいと。ですから、今は部落のことなんか書かない、聞かれないように書かないようにしようということですけれども、本当は書いていくことなんだと。自分は部落の出身で差別に負けない、これだけ頑張ってきたんだということをちゃんと言って、会社のほうも「そうか、すごく頑張ってきた生徒なんだ。力もある」ということで評価して採用していただければまったく問題ないんですけれども、今はとにかく全部隠せという、聞いちゃいけないということでやっているわけなんです。これが本当に正しいかというと過渡的な問題なのであって、最終的に正しいかどうかというのは私自身も疑問があるというふうに思っているんです。

 そういう意味では学校の同和教育と企業の人権啓発、共通する部分が随分あります。部落問題や人権について正しい認識を育てることは簡単ではありません。

 学校の論理と企業の論理では違うと思いますけれども、学校も企業も人を育てる、人を教えるという点では共通性が随分あると思います。今後いろんなところで学校と、それから企業の方とが、率直な話し合いができるといいなというふうに思っています。

 本当に率直に言いまして、今、私はこれからの社会のあり方、子どもたちのあり方については、ちょっと危機感を持っていまして、皆さんもたぶん大変な高校生、大変な大学生を受け取って苦労されているんじゃないかという気もしますけれども、昔とは違いまして、今の子どもたちは、かなり大変な状況になってきているんじゃないか。これからの社会を考えますと、もっともっといろいろと教育の問題について率直な議論が大切なんじゃなかろうかなと思っておりますが、それはこの場のテーマではございませんので、省略させていただきます。

 そういうことで、まとまりのない話になりましたけれども、日頃思っていることをお願いということでお話をさせていただきました。これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。 (拍手)


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