『公正な採用選考を考える』(その2)               

東京都同和教育研究協議会
事務局長 松 浦 利 貞 様(講演録より)

  就職差別との闘いから統一応募用紙制定へ

 統一応募用紙制定ということですけれども、1960年代の後半から、この取り組みが始まります。1965年に同和対策審議会答申が出されまして、1969年に同和対策事業特別措置法が制定されて、政府が本格的に同和対策に取り組むようになります。大体この頃から各地、といっても西日本ですけれども、就職差別に対する取り組みが始まってきます。

 今までこういう場でご紹介を何度かしてまいりましたが、京都にある大きな工場での、1967年の差別事件ですけれども、ある京都府立の高校から5人ほどその企業を受験します。みんなそんなに悪くなかったと思いますけれども、一人特別に成績のいい子がおりまして、会社のほうからは、「この子は成績もいいし、実際面接をした結果もとてもよかった、ぜひ採りたい。早めにご連絡をする」ということで早めに連絡をくれたわけなんです。ところが最終的に蓋を開けてみましたら、その5人のうちの一番優秀とされた一人だけ落ちて、あとの4人は合格している。そして、落とされた一人の子が部落出身の子であったということです。

 どこで変化があったかといいますと、その間に健康診断と身元調査が行われた。返事としては総合的な判定で、特に健康診断がよくなかったということになります。ですから、「この子は部落だから落とした」というふうには当時も今もなかなかそういうことは言えませんので、部落だということではなくて健康診断の結果がよくなかった。でも、最初は「この子はとても優秀だからまずこの子を真っ先に採りたい」という話だったはずなのに、「おかしいじゃないか」ということで、学校として校長さんをはじめとして会社に交渉したわけです。

 会社のほうも、なかなかそれは部落差別だというふうには認めなかったわけですけれども、でもやはり議論の中で、たとえばこういうふうな発言をされた。「浸水しやすく倒れそうな家に住んでいるものを採用すると、過去の例として労働組合から社宅に入れろと言われて困ったことがあるので採用しない」とか、「あの地域の社会環境をよくしてあの地域の生活状況を改善することのほうが先決ではないか」というふうなことで、考え方からいえば、これは部落に対する偏見があるというふうに言わざるを得ないわけですけれども、こういう中で京都で様々な団体が集まって就職差別反対の共闘会議というのが作られて、府議会への請願も行われます。府議会も「これは差別事件である。こういう差別のないように企業も行政も、また学校も取り組んでほしい」という決議を採択し、企業のほうも差別を認めて事件は解決をするということになります。

 それから、1969年に広島のある信用金庫の事件がございます。当時は別にこの信用金庫だけじゃありませんが、採用の条件として身体強健・思想穏健・成績優秀・容姿端麗・身元確実と、大体私の経験からいいましても当時の採用の条件はこれが入っていました。これが絶対条件みたいなことになりましたけれども、そういう中である高校が数人の生徒を送ったわけです。その中で被差別部落の子どもがいたんですけれども、彼女は成績もよかったし、まわりの友達に比較しても「自分は絶対に大丈夫だろう、絶対あそこの信用金庫に入る」ということで張り切っていました。

 でも、お父さん、お母さんは「まだ部落差別は厳しいんで、そんなに甘く考えては駄目だよ」ということで子どもを抑えてはいたんですけれども、子どもが一生懸命張り切って頑張るものですから、服も新調して試験に送ったわけです。蓋を開けてみたらやはりその子は落ちていた。成績でいうと決して悪くはないけれども、やはりその子は落とされていた。会社のほうは何と言ったかといいますと、「実は不合格理由は身上調査に記入漏れがあった」というんですね。「書いていないところが3か所あった」というんです。何が書いていなかったかというと、信仰する宗教のところに空欄があった。それから、課外学習の活動状況について空欄であったということなんですね。

 しかし、この子はすごく悩んだんです。宗教については詳しくわからないんですけれども、先生にも相談して、「こういうのは書けない」ということで、先生も、「無理して書かなくてもいいんじゃないか」ということで指導した。課外活動というのは、この子は部落出身の生徒なものですから、「部落の生徒たちが集まって部落研の活動をやっている。このことを書いていいか」ということで悩むわけですね。当然書いていいはずだけれども、当時の状況では書いたら間違いなく落ちるんじゃないかとは思うんですけれども、そういうことで生徒も一生懸命悩みまして、結局そこは書かないで出したということです。

 そういうことで「身上調書の中に記入漏れがあると。これは素直じゃないと、軽率であると、注意力散漫である」ということでもって落とされたということなんです。彼女は、自分は大丈夫だろうというふうに思っていたのが落とされてしまったというショックで、「もうこれ以上就職したくない。就職もしないから学校も行きたくない」ということで、生活も一時的に荒れます。先生が説得をして、「やはりこれはおかしいからちゃんと頑張ろう」ということで励まして、生徒も頑張ります。部落研の仲間に訴え、部落研の生徒たちはこの時期、広島県の中で交流会を作っていましたので、共に立ち上がって各学校の部落研の生徒たちがその信用金庫に抗議に行きます。信用金庫は最初は「抗議は受け付けない、お願いであればいいけれども、抗議などは私たちは悪いことをしていないから、部落差別はしていないんだ」ということでずうっといたんですけれども、これも最終的にはそういうことで生徒たちが頑張り、まわりが頑張って差別を認めて解決をするということになります。

 広島では、同じ年に銀行の差別事件がありました。これも皆さん、ご承知かと思いますけれども、ある銀行が「部落の生徒を採用すると銀行の品位と信用を落とすから採用できない」ということで断って、これはやはりとんでもないということで生徒たちが頑張り、また当時の部落解放同盟の広島県連が中心になりまして、大きな糾弾闘争になりましたけれども、最後は銀行のほうも差別を認めて、「今後、部落出身の生徒たちはぜひ当銀行を受けてほしい」というアピールを出しまして、解決をしました。

 一方、こういうことは民間企業だけじゃなくて、国家公務員も同じだったんです。1971年に兵庫県の高校生が国家公務員試験を受けます。そして一次の筆記試験、成績はよかったんですけれども、二次で駄目になった。何で駄目になったかというとその間に身元調査があったわけです。「これは身元調査によって部落だということがわかって落とされたんだ」ということで、人事院に抗議が行われます。そのときに人事院の担当者がどう言ったかというと、「身元調査を行うのは国民の大切なお金を扱っているからで、人柄と環境は切り離せない」ということで、身元調査は当然だと。国民に信用を得るためには人柄と環境というのは密接に関係しているんだと、この考え方は今もある面では強いと思いますけれども、そういうことで落とされました。

 これに対して、兵庫の高校生たちは戸籍謄本不提出ということで頑張ります。部落の子たちだけじゃなくて、部落外の子どもたちも、「自分たちは出しても問題ないかもしれない。でも自分たちが出せば部落の子どもたちが被害を受ける。だから自分たちも頑張ろう」ということで、部落の子どもたちも部落外の子どもたちも戸籍謄本不提出で闘争を続けまして、そして以後戸籍謄本は取らない、身元調査もやらないというふうに人事院のほうは判断をします。

 そんなふうなことで、高校生たちが頑張っているわけですが、それで1973年に全国高等学校統一応募用紙が作られたわけです。統一応募用紙ができたということは、もともとは部落出身の子どもたちが頑張ったけれども、部落差別だけではなくて親の職業による差別、あるいは親の経済状態による差別、あるいは一人親に対する差別、あるいは思想信条に対する差別など、差別一切を否定するということの確認だったと思います。また、出発は高校だったと思いますけれども、高校だけじゃなくて中学卒業であろうと大学や短大の卒業であろうと、一般の就職であろうと、基本的に差別はしてはいけないということの確認として統一応募用紙制定は意味があったと思います。

 でも、さきほど言いましたようにまだまだ統一応募用紙の趣旨違反が多いんです。親の職業を聞くということと差別とは必ずしもイコールではない。聞いても差別をしなかったということはありますけれども、ただ、さきほど言いましたようにもう20何年も経っているのに未だに聞いているということは、やはり何か意図があるのではないかと思わざるを得ない。差別の意図があるのではないかと考えざるを得ないというふうに思います。

 こういうことに対して、全国的に高校生たちが「言わない、書かない」、「差別につながるような違反質問については答えない、あるいは書かない」という取り組みをしています。でも、これは簡単ではありません。西日本で相当運動が活発なところでもやはり高校生たちは悩みます。もしも会社のほうで親の職業を聞かれたら、「ここで答えなかったらやはり不利益を被るんじゃなかろうか。ましてや『学校の指導でそういうことは差別につながりますからお答えできません』なんて言ったら、さらにとんでもないということで採用されないんじゃないか」。いろんなことを悩みながらようやく答える生徒が出てきます。

 そういう生徒たちに対して、そういうことを理解していない会社側から、「何でそんなことを言うのか、おかしいじゃないか、別にこちらは差別をするつもりじゃないんだ」とか、いろんなことを言われて、生徒たちは本当にショックを受けるわけです。これは最近の宮崎県の事例で、高校生が違反質問を受けまして、そのことについて生徒が次のようなことを感じたということなんです。「まさか自分がこのような違反質問を受けるとは思いもしなかったから、頭の中がぼうっとして母親のことを聞かれたときはとても嫌な気持ちになりました。質問の返事にも何と答えてよいか迷い、『離婚しました』と答えると面接に響くと思い、『母はいません』と答えた。現に母親はいる。たまに母親に会いに行ったりもする。母も弁当を作ったり、私にいろんな話をしてくれる。そんな母親がいるのに私は『いない』と言った。私は母に何と言えばいいんだろう。母に申し訳ない。あんなにまでしてもらって『母はいない』なんて私は言いたくはなかった。あんな質問をしてきた面接担当者の顔は死んでも忘れない。もう二度とあんな面接は受けたくない。血が逆流したような、あんな嫌な思いはしたくない」。これは質問に答えているわけですが、お母さんのことを聞かれて、離婚したということが事実だと思いますけれども、そういうことは言えないということで、「すごく悩んで嘘をついた、お母さんに申し訳ない」という気持ちがあります。

 宮崎県は取り組みが進んでいまして、私たちの仲間の宮崎の県同教はこういう方針を出しています。それは人権企業連さんのほうも「言わない、書かない」じゃなくて、「言わせない、書かせない」という取り組みをされていると聞いていますけれども、会社が面接の際に、「これからいろいろと質問をするけれども、あなたのプライバシーの侵害とか差別につながるような質問だと思ったときには答えなくてもいいですよ」と事前に言う。これは警察の取り調べとか、裁判所で事前に「不利なことは言わなくてもいいんだよ」というふうに言うことになっていますけれども、それと同じように、「あなたにとってプライバシーの侵害になるとか、差別になると思ったことについては答えなくてもいいですよ」というふうに言えば、これは生徒たちにとって気が楽になっていいんじゃないだろうかということで、そういうことをやってもらえるといいなということで、宮崎が取り組んでいます。


  部落差別について

 本題ではありませんけれども、少し話をさせていただきます。
 東京は西日本に比べますと一見、部落差別が表面化していないように見えます。でも、やはり厳しい差別がある。表面化しない分だけかえって厳しいというふうに言ったほうがいいかもしれません。職場の中で部落出身ということで差別的なメモを渡される。あるいは昨年大きな問題になりましたけれども、「部落ということを暴露されたくなかったら500万円持ってこい」という脅迫がされるというふうな実態があります。

 また、私たちの学校の現場では残念ながらまだ十分同和教育が取り組まれていないということで、「えた」とか「ひにん」といったような言葉が、子どもたち自身は冗談半分に、面白半分にということにはなりますけれども飛び交う部分があります。相手を痛めつけるために「えた」とか「ひにん」ということを言う。そういうことがあります。実際、本人たちはそれがそんなに深刻なものだとは思っていない。でもこれはいじめと同じなんです。いじめも生徒たちに聞きますと、いじめている側は「これは遊びだ、あの子と友達だからやっているんだ」というふうになるんですけれども、やられているほうは「とんでもない」ということになるんです。やっているほうは気楽に冗談半分にやっているんですけれども、それを受けた側は大変深刻な結果を受けることになります。

 それから、私の経験で、これは年輩の方なんですけれども、東京でも死語になったんじゃないかと思うような「新平民」というような言葉であるとか、あるいは四本指を出すような仕草、私も話には聞いたけれども、目の前でそういうことを言われたり、やられたりしますと、ちょっといくら何でもと思ったんですけれども、まだそういうことがある。

 ところが、それをやる人たちが実はとてもいい人なんです。親切で優しくて、何でこんないい人がそういうことをやるのかということなんですけれども、要するに部落差別というのは「差別するのはとんでもないひどい人だ」というふうについつい思いがちなんですけれども、そうじゃない。ごく普通の人がやる。結婚差別もそうですけれども、本当は娘がかわいい、息子がかわいいと、本当にいいお父さん、お母さんが、でも娘のため、息子のために部落の人間とは結婚してはいけないという形でもって、そこでは絶対的に差別をするということが数多くあります。そういう差別をする人たちも人間的に決して悪い人ではない。ごくごく普通のいい人が差別をしているという実態があるわけです。従って私たち自身もいつ差別をするかわからない、そういうことを考えてみる必要があるんじゃないだろうかと思うんです。

 私のクラスに部落出身の生徒がおります。高校三年生の生徒なんですが、この子は今までの東京での経験でいうと直接差別をされた経験はない。いろんなそういう話を聞きますから差別をされる予感は持っているんです。こんなことを書いています。「就職差別についての授業のときに昔の入社志願書を見て驚いた。いわゆる履歴書を見るのは初めてであった。でも昔の変わる前の志願書の項目を見て本当に差別的だと思った。人の弱みを握り、支配するため以外の何物でもないと思った。被差別部落出身だからとか、貧乏とか、片親とか、そんなことで人柄や能力を判断できないのにおかしいと思った。そして形は変わったけれどまだ就職差別があるのはすごい問題だと思う。私は女だし部落出身だから、心ない人に差別されるかもしれないけど、親や友だちに協力してもらって乗り越えられたらと思う」ということで、「今まで直接差別をされた経験はないけれども、でもこれから差別をされることはあるんじゃないか。そのときにしっかりしたい。だから同和教育もきちんと先生たちにやってほしい」という訴えをしています。


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