産業医科大学 顧問 竹村 毅

日本の企業文化に問題あり?
 1995年から4年間、(財)女性労働協会は労働省の委託を受けて、アメリカ、フランス等先進国9カ国を対象に、企業における女性雇用の実態と問題点およびその解決策等をテーマとする国際交流事業を実施した。この事業の実施過程において、多くの国から日本企業の雇用差別の解消を求められたのはショックであった。

 企業の多国籍化が普遍的となった現在、日系企業のみがこのような批判にさらされるのは、それが制度的なもの(institutional)とみなされていることが最大の理由と思われる。だとすれば、それは日本企業の採用・雇用制度、人事考課のあり方さらには広く企業文化の特異性にもかかわってくることになる。

 それぞれの国の雇用慣行や制度等は、その国の歴史の産物であり文化の一部であるが、その中に時代や世界の趨勢に逆行するものがあるとすれば、早急に改善することが大切である。そのことによって、日本の企業が国際社会により広く受け入れられ発展でき、また、国内においても企業の差別体質の点検と除去につながることになるからである。
 そこで、日本企業の雇用慣行や制度のうち、国内外から変革を求められているものがどのような背景で成立したかを、経営家族主義・共同体的な集団主義、1940年体制の残滓、法制化の問題の3点にしぼって考察してみたい。

経営家族主義のルーツ
 江戸時代まではわが国は農業社会であり、国民の大部分は「家」という集団の中での終身雇用の農民で今日のサラリーマンに該当する層は皆無であったといっても過言ではない。明治政府は産業の近代化をはじめ、原生的労働力の創出についても官主導で行わざるをえなかった面もある。
  また、明治憲法下では「人権」の観念は存在せず、近代化の旗印の下で19世紀ヨーロッパにみられた原生的労働関係の悲惨な陰が質量ともに拡大されて転写された。さらに半封建的な地主小作関係や家父長的家族制度の影響が加味され、日本固有の特色をもった労働関係が形成されることになった。それは多くの場合、身体的な拘束を伴う従属関係(男工の納屋・飯場制度、女工の寄宿舎制度等)を特色とするものであった。
  1900年頃までの大手企業の工場では、「世話役」(親方労働者)が仕事の指導・監督にとどまらず、配下の職工の日常生活から家庭の出来事の世話まで立ち入り、しばしば工賃のピンはねを行うこともあった。

 第1次大戦ブーム期の重化学工業分野における企業活動の拡大、大戦後の不況期の軽工業分野での企業合併・集中等を通じて、日本においても「現代企業」の特徴を有する大企業が多数出現した。これらの企業に専門的知識を有するテクノクラート的な人材として高等教育機関出の学卒社員(ホワイトカラー)が参入し、企業の労務管理や雇用慣行も徐々に変質していった。従来の親方請負的な間接的労務管理から、企業による直接的な管理体制へと移行し職場規律の確立を図ろうとする一連の工場改革がこれである。

 しかし、その改革の理念的柱は経営家族主義の展開にとどまっており、「労働問題を解決するカギは、家族制度に由来する日本古来の『主従関係』の美風を工場の雇用関係にまで拡張するにある。(1907年某合資会社)」という考え方の延長線上にあるものであった。
  また、1920年代から30年代の戦間期といわれる時期におけるデフレ和労働移動の減少、企業体制の確立、労務管理の変革等により、財閥系の大企業のホワイトカラーを中心として、学歴別専攻別年次採用等の日本型雇用システムが芽生え定着をはじめたが、原生的労働関係形成時にあった考え方が資本主義の初期の段階にとどまらず、家柄や人柄を採用時に重視する土壌となって今日まで続くこととなった。

1940年体制の残滓
 前述のような共同体的集団主義の理念を含んだ日本的特質は、1930年代後半からの戦時経済体制の整備、いわゆる大政翼賛運動の進展によって強化された。今日まで残っている雇用関連のものだけをあげても、その影響の強さは理解していただけよう。

  1. 国の資源と労働力を戦争目的のために動員する権限を政府が掌握(38年「国家総動員法」)
  2. 初任給の公定と全従業員一斉の場合以外の賃上げの抑制(39年、定昇制度の定着)
  3. 労使の懇談と福利厚生を目的とした事業所別組織の整備(40年「大日本産業報国会」=企業別労働組合のルーツ)
  4. 株主には固定率の配当のみで、経営者、従業員の報酬と社内福祉施設に分配(40年、「会社経理統制令」等=経営者・従業員を中核とする運命共同体的経営と社宅のルーツ)

 このような戦時体制の名残りをとどめた定昇制度、企業別組合、社内福祉制度等を背景とする採用・雇用制度、労務管理システムが諸外国には奇異なものとしてみられることにもなっている。
  また、国内においても現在ビッグバンを迎えて構造改革を迫られている金融制度と同じく、現状にそぐわないものについては、1940年体制からの脱却と変革を求められているところである。

法制度の問題
 わが国において同和対策審議会答申が検討されていた1960年代前半、アメリカにおいても公民権運動が活発化し、63年のワシントン大行進の盛り上がりの中で翌年には人権に関する総合的な法律である公民権法が制定された。雇用に関わる差別禁止を規定しているのはその第7編であるが、この法律の制定をはじめ連邦レベルのものだけでも年齢差別禁止法、同一賃金法、障害者差別禁止法等6つの法律があり、加えて連邦レベルのものに比べて包括的で対象範囲も広い州法がある。
  これらの法律が適用されるのは、企業をはじめ行政機関、労働組合等あるゆる組織が対象とされており、雇用差別の概念も機会の均等、処遇の相違等広範囲にわたるものである。

 これに対しわが国の雇用関係法で企業に対して差別禁止事項が明示されているのは労働基準法第3条のみといってよく、その内容は「賃金、労働時間その他の労働条件」についてとされており、労働条件には、労働者の雇入を含まないと解されている。極言すれば、わが国においては企業の採用・雇入れ活動を規制する法律は、わずかに職業安定法によって事務手続的なものが定められている「労働者の募集」に関するものだけといってもよく、無法地帯に近い。もっとも、極端な行為は民法第90条(公序良俗)違反となることは当然である。

現行の採用時情報の問題点
 わが国と対極にあるケースとしてアメリカを例に見ると、採用時には次のような規制が適用される。(アメリカが人権先進国だからという理由で対比するのではない。ちなみにアメリカは、国際人権規約のうち自由権規約を1992年に批准したものの、社会権規約についてはまだ批准していない。)

  1. 生年月日、出生地、国籍、性別、家族構成や職業、身長・体重、宗教等は記載させてはならない。
  2. 写真貼付は不可(性別、人種、年齢等が明らかになる)。
  3. 一般的な学歴を記載させてはならない(マイノリティーや女性に対する差別的効果あり)。
  4. 配偶者の有無を記載させるのは違法。

 また、採用申込書に記載させることのできない項目は面接時においても質問してはならないし、採用テストも募集職種に関係のあるものに限られる(例えば、秘書の採用時に数学のテストをするのは違法)ことはいうまでもない。当然、縁故採用は過去の差別の永続化につながることから違法とされる。

 このようなアメリカの基準を日本のJIS規格履歴書の参考様式に適用してみると、残る項目は氏名、連絡先、前職欄(それもせいぜい企業名と大まかな職種)等のみとなってしまい、採用・選考のための情報としての役割を果たせなくなる。つまり、日本の履歴書は国際的にみた場合、極めて特異なものであるといえよう。

 一方、アメリカにおいては就職・採用時に求職者・企業ともに提供する情報はかなりの量に達するのが一般的である。この国の履歴書に相当するものは、ある特定の職務につくことについての目的・目標を簡単に書いたもの(オブジェクティブ)からはじまり、その職種に関連する学歴や職務経験、技能や資格の程度、ボランティアの経験等の自己アピール(ステイトメント)を本人がレイアウトをきめて作成する。より人目につきやすくアピールできる書類の作成を代行する職業(レジュメライター)も立派に成立しているくらいである。もっとも、フォード社のように1967年公民権運動のさなか「ニュー・デトロイト運動」の中心となり、ブルーカラーについては採用試験を中止してスラムの住民を優先雇用するアクション・プログラムを公表・実施した例もあるが、これは例外的なものであろう。

 それに比べると、日本の現行の履歴書は就職希望者が「社会的に問題がない」ことを会社が確認するための写真つき身元証明書つまりパスポートの役目を果たしているだけのものにすぎない。その内容も印刷された項目の枠内に「必要事項」を義務的にきれいに記入するだけのものであり、その内容の詳細を確認しようとすれば身元調査につながる危険性があるといえるのではなかろうか。


目次へ