|
●日本の企業文化に問題あり? 企業の多国籍化が普遍的となった現在、日系企業のみがこのような批判にさらされるのは、それが制度的なもの(institutional)とみなされていることが最大の理由と思われる。だとすれば、それは日本企業の採用・雇用制度、人事考課のあり方さらには広く企業文化の特異性にもかかわってくることになる。 それぞれの国の雇用慣行や制度等は、その国の歴史の産物であり文化の一部であるが、その中に時代や世界の趨勢に逆行するものがあるとすれば、早急に改善することが大切である。そのことによって、日本の企業が国際社会により広く受け入れられ発展でき、また、国内においても企業の差別体質の点検と除去につながることになるからである。 ●経営家族主義のルーツ 第1次大戦ブーム期の重化学工業分野における企業活動の拡大、大戦後の不況期の軽工業分野での企業合併・集中等を通じて、日本においても「現代企業」の特徴を有する大企業が多数出現した。これらの企業に専門的知識を有するテクノクラート的な人材として高等教育機関出の学卒社員(ホワイトカラー)が参入し、企業の労務管理や雇用慣行も徐々に変質していった。従来の親方請負的な間接的労務管理から、企業による直接的な管理体制へと移行し職場規律の確立を図ろうとする一連の工場改革がこれである。 しかし、その改革の理念的柱は経営家族主義の展開にとどまっており、「労働問題を解決するカギは、家族制度に由来する日本古来の『主従関係』の美風を工場の雇用関係にまで拡張するにある。(1907年某合資会社)」という考え方の延長線上にあるものであった。 ●1940年体制の残滓
このような戦時体制の名残りをとどめた定昇制度、企業別組合、社内福祉制度等を背景とする採用・雇用制度、労務管理システムが諸外国には奇異なものとしてみられることにもなっている。 ●法制度の問題 これに対しわが国の雇用関係法で企業に対して差別禁止事項が明示されているのは労働基準法第3条のみといってよく、その内容は「賃金、労働時間その他の労働条件」についてとされており、労働条件には、労働者の雇入を含まないと解されている。極言すれば、わが国においては企業の採用・雇入れ活動を規制する法律は、わずかに職業安定法によって事務手続的なものが定められている「労働者の募集」に関するものだけといってもよく、無法地帯に近い。もっとも、極端な行為は民法第90条(公序良俗)違反となることは当然である。 ●現行の採用時情報の問題点
また、採用申込書に記載させることのできない項目は面接時においても質問してはならないし、採用テストも募集職種に関係のあるものに限られる(例えば、秘書の採用時に数学のテストをするのは違法)ことはいうまでもない。当然、縁故採用は過去の差別の永続化につながることから違法とされる。 このようなアメリカの基準を日本のJIS規格履歴書の参考様式に適用してみると、残る項目は氏名、連絡先、前職欄(それもせいぜい企業名と大まかな職種)等のみとなってしまい、採用・選考のための情報としての役割を果たせなくなる。つまり、日本の履歴書は国際的にみた場合、極めて特異なものであるといえよう。 一方、アメリカにおいては就職・採用時に求職者・企業ともに提供する情報はかなりの量に達するのが一般的である。この国の履歴書に相当するものは、ある特定の職務につくことについての目的・目標を簡単に書いたもの(オブジェクティブ)からはじまり、その職種に関連する学歴や職務経験、技能や資格の程度、ボランティアの経験等の自己アピール(ステイトメント)を本人がレイアウトをきめて作成する。より人目につきやすくアピールできる書類の作成を代行する職業(レジュメライター)も立派に成立しているくらいである。もっとも、フォード社のように1967年公民権運動のさなか「ニュー・デトロイト運動」の中心となり、ブルーカラーについては採用試験を中止してスラムの住民を優先雇用するアクション・プログラムを公表・実施した例もあるが、これは例外的なものであろう。 それに比べると、日本の現行の履歴書は就職希望者が「社会的に問題がない」ことを会社が確認するための写真つき身元証明書つまりパスポートの役目を果たしているだけのものにすぎない。その内容も印刷された項目の枠内に「必要事項」を義務的にきれいに記入するだけのものであり、その内容の詳細を確認しようとすれば身元調査につながる危険性があるといえるのではなかろうか。 |
| 目次へ |