|
●はじめに 実際、経営のノウハウを研究し実践に結び付ける学問である経営学においても、人権を企業経営における重要な要素として位置づけてはいません。商学部、経営学部、経済学部などの企業経営関係の大学学部のカリキュラムにおいて、例えば「企業経営と人権」というような授業科目が置かれているところは、皆無だと思います。毎年数多く出される経営関係の本においても、人権について論ずるものはまず見当たりません。 しかし最近は人権意識の高揚に伴い、企業も人権に対する取り組みを真剣に行う必要にせまられてきています。とりわけ企業の国際化によって、人権は、企業の短期的、長期的利益に影響を及ぼす問題であることが、次第に明らかになりました。アメリカやイギリスではいくつかの日系企業が、女性に対する差別的待遇や人種差別的慣行を理由に損害賠償請求訴訟が提起され、多額の賠償金ないし和解金を支払わされてきました。このような企業は、単に多額の金銭的負担を追わされるばかりでなく、長年培ってきた現地における企業イメージを落とすという取り返しのつかないダメージも受けてきました。こうした事情から、最近は、利益追求という企業本来の活動目的の観点からも、人権に正面から取り組まなければならなくなってきているように思います。 ●私の体験 今はすっかり事情が変わりましたが、1990年頃までの南アフリカは、少数の白人が多数のアフリカ人を支配する、悪名高いアパルトヘイト(人種隔離)政策の国でした。1988年に、私は、国連の人権小委員会という専門家委員会の代理委員に選ばれ、毎年8月にジュネーブで開かれる会議に出席するようになりました。その頃、人権小委員会の4週間の会議において、審議にもっとも多くの時間を割いていたのは、この南アフリカのアパルトヘイト問題でした。その中でも中心的議題は、国連の経済制裁を守らずに南アフリカと取引をしている企業の問題でした。 エジプトから出ている人権小委員会委員にカリファという人がいますが、その人が毎年南アフリカと取引をしている企業のリストを国別に報告書にまとめて提出していました。日本の企業も数多くリストアップされていて、委員の間では「日本の企業は南アフリカにおける多数のアフリカ人の苦しみを少しも理解せず、ただ経済的利益のみを考えて少数白人政権と取引をしている」と非難されていました。日本の企業関係者はあまりご存じなかったと思いますが、国連の人権関係の会議では、日本企業が「人権に配慮しない経済的利潤追求にだけ関心のあるもの」という捉え方をされていたのです。そこでは、具体的企業名もあげられていましたので、その企業のイメージは多少なりとも傷ついたのではないかと思います。 もう一つ、ミャンマー(ビルマ)の例をあげます。ミャンマーは、1988年に国民の民主的要求を武力で押さえ付けて軍政が敷かれ、以来国連では極端に人権状況が悪い国として、毎年調査の対象とされてきています。私は1992年から96年まで、国連の人権委員会(人権小委員会の親委員会)によって任命されたミャンマー担当特別報告者として、毎年ミャンマーを訪れ、調査結果を国連に報告していました。1995年10月には、その年の7月に自宅軟禁から解放された国民民主連盟(NLD)の指導者であるアウン・サン・スー・チーさんとも会って、事情聴取と意見交換 をしました。 アウン・サン・スー・チーさんは、この時、「自分が自宅軟禁から解放されたからといって、ビルマに民主主義が回復された訳ではないし、また人権状況が改善された訳でもないので、事態が良くなるまで、ODAは控えてもらいたいし、外国の企業もビルマには投資しないでほしい」と言っていました。しかし、日本の企業の中にはミャンマーへの進出に強い関心を持ち、実際に投資を始めるところが出て来ています。このような動きに対しては、アメリカやヨーロッパの人権団体や民主化支援団体から強い批判が寄せられています。とくに一部のアメリカの州(たとえばカリフォルニア州やマサチュセッツ州)では、ミャンマーと取引をしている企業(アメリカ企業ばかりでなく日本を含むあらゆる国の企業)を、州の調達先として排除する州法を制 定しています。 この問題について、日本政府や欧州委員会はガット/WTO違反としてWTOの紛争解決機関に訴えています。WTOは人権問題を論議する場ではないので、その手続きでは日本やEUの訴えが認められる可能性も少なくないと思いますが、かりにWTOの紛争解決手続きでは勝ったとしても、人権に無関心という日本およびその企業に対するアメリカの消費者のイメージは定着し、その意味でのダメージも決して小さくないと思われます。 |
| 目次へ |