そして、井上さんは中国へ行かれます。「日本国内でただ村を出て行っ

たぐらいでは、いつか必ずわかるときが来るからだめだ。日本を出て中国

へ行け。」と両親は言いました。あのひどい暮らしの中から、どうやって

お金を工面してくれたのかわかりませんが、いくばくかのお金を用立てて

くれました。

 大連で井上さんは鉄道の仕事につきました。鉄道会社の仕事は楽なもの

ではありませんが、多くの貧しい人たちが中国へ行って働いていたのです。

10人前後の男たちが同じ部屋に寝泊まりするという状況の中で、労働の

日が始まります。一日の仕事を終えて粗末な夕食の後、眠りにつくまでの

ほんのわずかな時間が、本当の自分になって心が安らげる時なのです。

 そんなとき、みんなが車座になっていろいろな話をするのです。「俺の

村ではこんなきれいな川があって魚が取れていいところや。」「うちの村

は暖かくて果物が取れていいところや。」というふうに、それぞれ故郷の

自慢話が出るのです。でも、井上さんは故郷の話をすることができません。

故郷の名前は何があっても絶対に口にするな、隠し通せ。二度とこの村へ

帰ってくるな。それが親孝行と思え。という親との約束があります。話の

輪の中に入れない井上さんは、少し離れてみんなの話を聞く姿勢をとられ

ます。故郷の自慢話が出尽くした後、決まって出てくるのが部落の話で

「あのな、俺の村にはこういう部落があるんや。そこの部落ときたらなあ

・・。」ああだ、こうだと、おもしろおかしく言いたい放題、悪いイメージ

で話されていきます。部落の存在を知らない人たちは、そこで部落との出

会いがあり目を丸くして聞いています。「わしらはな、日本を離れてこん

な辛い仕事をしている。なんて不幸な人間だと思っていたが、そんな人が

いるのか。わしら部落でなくてよかった。さあ明日もきつい仕事やけどが

んばろう。」

 部落への差別は日本を離れた異国の地においても、一種の疲労回復剤の

役割として利用されていたのです。井上さんにとって一番つらい時間だった

ことは言うまでもありません。いつ自分に故郷の話が降りかかってくるか。

その時どう答えるか。内心ビクビクしながら中国の地で暮らしていました。

ついにある日「おい井上君、あんたはいったいどこで生まれ育ったのか。

あんたの村には部落はなかったのか。」と聞かれてしまった。心臓が凍る

ような意識の中にありながら、でも、唯一の抵抗をこの時見せておられま

す。「部落の人間というのは一体どこで見分けがつくのですか。」それを

聞いた友人は「おお、そう言われたら同じや。どこも変わらん。同じ人間

や。」

 しかし、井上さんは、職場を離れることになります。その後中国内を転

々とされますが、どこにいっても同じようなことが同じように起こるだけ

で、安住の地はどこにも無く、部落差別はどこまでも追いかけてきたので

す。そのような状況の中で井上さんは病気にかかり日本へ帰ることを余儀

なくされることになります。


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