今年は、世界人権宣言が国連で採択されてから、ちょうど50周年とい

う記念すべき節目の年になります。

 日本で最初の人権宣言である水平社宣言を知らないという人はいても、

世界人権宣言の存在を知らない人は、恐らくいないでしょう。それほど、

市民権を得ている世界人権宣言が50年前に、なぜ、なされなければな

らなかったかという、その背景については、あまり多くは知られていま

せん。



 私たち人類のあゆみを振り返って見るときに、まさに人権が大切にされ

てきたという歴史は、ほとんどありません。それは、権力と欲望、殺戮の

歴史であり、あってはならないことを、地球は、多く経験してきました。

 その中の一つに、ソビエトでの『スターリンの粛清』があります。この

出来事により、何10万というソビエトの市民が殺されました。これは、

他国の侵略による殺戮ではありません。自国の政府によって、多くの国民

が殺されたのです。政府の思想に反するという理由です。

 この時世界は、スターリンの暴挙を知っていました。しかし、どうする

こともできませんでした。なぜなら、当時の国際法は「その国の領土及び

国民を、主権が自由に支配できる。」という国家主義中心だったので、国

境の手前で国際法は力をなくし、救済の手だてを見つけられませんでした。

この出来事が国家主義の破綻への導きになります。

 さらに、記憶に新しいところでは、ナチスドイツが行った、ユダヤ人に

対する大虐殺があります。あの、アウシュビッツをはじめとする強制収容

所において、600万人というユダヤの人たちが、殺されました。

 この時、死をもって、償わなくてはならなかったようなユダヤの人は、

一人もいませんでした。しかし、ヒトラー率いるナチスドイツの純粋主義

という考え方から『ユダヤ人である。』それだけの理由で殺されていきま

した。

 また、ナチスドイツは、ユダヤ人だけを虐殺したわけではありません。

自国の国民、障害のある人たちも同様に『国のお荷物、役に立たない存

在。』と決めつけ、七万人の障害者を殺しています。健康な身体を持つも

のだけが、ドイツ国民であるという考え方が、大きな悲劇を生みました。

 この他国の出来事を客観的に検証する時、ナチスドイツが行ったことは、

まさに、正義であったと、言える日本人はおそらく一人もいないでしょう。

ドイツ人はユダヤ人を殺していい、そのような論理は、どんなに正当化し

ても見出すことはできません。

 さて、このような尊い命を犠牲にして、やっと第二次世界大戦が終わり、

国連が設立されました。その国連が、一番になすべきことは何かという議

論の中から、この世界人権宣言は生まれました。

『国を問わず、人種を問わず、男も女も、子どもも年寄りも、人として生

まれてきた命すべてに人権が保障されること。それをすべての人たちが、

理解しあわなければ、世界平和は決して訪れない。』との考え方から、世

界人権宣言が採択されました。人間、一人ひとりに保障されている権利と

しての人権は、誰にも侵すことはできないという宣言です。


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