六系列から成る日本民族

 今日の日本民族は、世界人口の60%以上を占めるモンゴロイドの諸

分流の混合体であるが、その文化も複合体なのだ。


 すなわち、南方系モンゴロイドが基層にあって、その後から北方系

モンゴロイドが入ってきたのだ。この説は埴原和郎氏の「日本人二重

構造モデル」説としてよく知られている。そして、日本民族の起源は

六つの源流から成るという学説が、日本人類学の開拓者だった鳥居龍

蔵が唱えて以来、日本人起源論の基調となっている。私なりに大ざっ

ぱにまとめておこう。


 第1は、古代・中世の蝦夷の直接の子孫である「アイヌ」民族、そ

れと沖縄を中心とする南西諸島の「南島人」。最近ではDNAの比較解

析を中心とした分子遺伝学の進歩によって、彼らが縄文人の末裔に連

なる系譜であるという説が有力になってきた。


 第2は、南方系海洋民。この源流の代表として、南九州の「隼人」

が挙げられる。隼人は黒潮に乗ってやってきた南太平洋系の海民だが、

縄文時代の創始期より以前に、この列島の南端にやってきたのではな

いか。その一部には、インドシナ・華南にまで進出した旧スンダ大陸

系の古いモンゴロイドの系譜も含まれていたと考えられる。


 第3は、米と金属器を運んできて、弥生文化の基礎を築いた「倭人」

で、中国大陸の江南系、華南系の人たちである。北方系の漢人とは、明

らかに違い、背が低く、皮膚はやや褐色で、彫りが深い南方系の特徴

を残している。どのようなコースを辿って日本に来たのか。いくつかの

ルートが推測されているが、朝鮮半島南部にまず入り、そこから北九州

に入ってきて、先住民と融合しながら弥生文化を形成していったとい

う考え方が有力だ。その一部には、阿曇(あずみ)族や宗像(むなかた)族

などの北九州の海民も含まれていた。


 第4は、朝鮮三国から何波にも分かれて入ってきた「渡来人」。古

墳文化と奈良時代の文化は、彼らが運んできた当時の朝鮮半島の先進

文化に大きく支えられていたことは改めて言うまでもない。北方の高

句麗系住民は、騎馬民族系の扶余(ふよ)族が多かった。だが、百済な

ど半島南方の住民は、もともと倭人系だった人たちもかなり含まれて

いた。


 第5は、中国大陸北部にいた「漢人」。彼らは朝鮮半島に楽浪郡・

帯方郡という植民地を築いていたので、そこからの移住者が主である。

彼らも、漢文化を携えてこの列島に入ってきた。


 第6は、「北方系騎馬民族」。ツングース系が主力であるが、一世

紀ごろには朝鮮半島まで南下して高句麗を建国し、さらに南下して百

済王朝を支配下において、三世紀末ごろに日本にやってきたと考えら

れる。百済の民衆は倭人系が少なくなかったが、その王朝は高句麗王

朝の分かれであったから騎馬民族系であった。北九州に入ると、倭人

系が多かった邪馬台国を支配下において、九州で基盤を固めてから瀬

戸内海を攻め上がってくる。その際に記紀神話に出てくるように各地

の先住民と戦闘を交えているが、ついに大和に入ってヤマト王朝を建

てることに成功した。



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