
「生まれるってことには、みんな理由があるんや」
体にハンディを持つ小学生の原田大助クンが叫んだ
言葉です。
この素晴らしい表現に接した時、私は世の中には同
じ考えを持っている人がいるのだなあと思い嬉しくなりました。
全くその通りなのです。人間はそれぞれに自分はいかによりよく生きら
れるかを自分に問いかけながら毎日を暮らしているのです。今日は昨日よ
りも素敵な日であり、明日は今日とは違った新しい自分が創れるように祈
り続けています。それだからこそ人間は進歩を重ねてこられたのです。
その考えは、時代、社会、国籍、性別、年齢その他、人間の身にまとい
つくあらゆる外的条件を越えて、人間の心の奥底に、誰でもある共通の無
意識なまでの願いなのです。
この世の中が楽しいから生きているのであり、さらに楽しくしようと望
むから働くのです。こうした一人ひとりの情熱に溢れた思いが集結して、
人間社会は発達してきました。

ところが、楽しさから除外されてしまう人もいます。
そうさせないために、つまり生きている限りは人間で
あって欲しいと願って、脳死の例に見るように、人間
として生きる限界を懸命になって模索するのです。
そこに人権の基本となる生命の尊さが存在します。
しかし、奇妙な現象も起こります。
脳死に至っているかどうかを確認される人は、もはや再び完全に人間的
能力を回復する見込は、医学的生理学的に全くありません。奇跡すらたぶ
ん発生しないでしょう。あとはいつ細胞の分裂が止まって死が始まるかで
す。死とは人間がなすべき最後の仕事です。
奇妙なというのは、生命を失っていく人に対しては究極の倫理性が考え
られるのに、生命を作っていく胎児は、親の特に母親一人の意志によって
いとも簡単に抹殺されてしまうのです。妊娠中絶手術です。

生まれたばかりの赤ちゃんは何も自分では出来ない人間だから、親がす
べてをしてやるのだと断定するのは大きな誤りです。
詳述する紙数はありませんが、過去における私の実験では、生まれてま
だ臍の緒がついたままの血だらけの赤ちゃんをおかあさんに抱かせます
と、すぐに乳首を探り当てて吸い出すのです。これは学習行為です。
ではどこで学習するかというと、高周波で胎内を見ればわかりますが、
胎児は指をしゃぶって自習しているのです。
生まれて数日後の赤ちゃんの顔の上に、母乳を含ませたガーゼと普通の
ガーゼを左右から同時に近づけると、必ず母乳の方に顔を向けます。すで
に臭覚もあるのです。
胎児の頃に録音した母親の血流音のテープを聞か
せますと、安心して眠り始めます。記憶力もある証
明です。赤ちゃんが素晴らしい人間であるあかしは、
この他にもたくさんありますが、これらはすべて胎児のうちに生命力とし
て養成されてきた能力なのです。
刑法では、故意の堕胎には刑罰を課すと記されており、民法にはやむを
得ざる場合には、胎児にも相続権を認めています。優生保護法だけが胎児
の人権を否定しているのです。
人間としてこれから生きようとしているはずなのに、人間としての呼吸
一つも出来ないうちに無残にも殺されてしまうのです。
もしかしたら、あなたにもその危機があったのかもしれません。人権尊
重が叫ばれながら、日本人の生命と人権は基本的に極めて不確かな上にし
か成立していないのです。
私は、中絶を完全に廃止しろと言っているのではありません。胎児や母
体に生命の危機があったり、暴行による妊娠、あるいは医師の判定によっ
て、明らかに産むことが困難なときには中絶も必要です。しかし裁判では
人が人を裁けるかが永遠のテーマであるように、中絶は勝手に人が人を裁
き、与えられるのは死だけなのです。神様のような胎児に対して。
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