
「職場の同僚である一才年下の女性にあなたの
本を勧められました。正直、女性の書いたものは
甘ったるい気がして読まず嫌い(こういう考え方
自体、あなたから言わせればもう一つの偏見のも
とになるでしょうが)だったのですが、ここ数カ月むさぼるように読み続け
ています。
あと数時間でぼくは二七才になります。ぼくは同和地区の出身者です。子
ども時代、今でいうところのいじめ、差別、一つひとつあげたらきりがない
ほど出会いました。いわれなきそれらの言葉でどれほどぼくの心が傷つけら
れたか。ただしこの手紙は傷つけられたということをレポートするための手
紙ではないのです。子ども時代の記憶からまずはじめます。
子ども時代、ぼくは転校生がとても好きでした。転校生ならクラスの中に
すでに出来上がっているぼくへの差別意識とは全く無縁のとこでぼくと向か
い合ってくれる、そんなふうにぼくは思っていたのです。しかし、転校生
も、転校して二〜三ヶ月もするとぼくをさけるようになりました。

小学校三年生の時です。母親が友だちを招いて
くれました。誕生会というのがとてもはやってい
た頃のことです。ぼくの家はたいへん小さく、そ
して、決して経済的には豊かでないということも
十分知っていましたが、友だちがほしい、仲間がほしいという思いもあっ
て、母の招きにぼくものりました。母は豊かでない財布の中からケーキを買
ってくれたり、ジュースを買ってくれたり、ちらし寿司を作ってくれたりし
て、ぼくの友だち数人をもてなしてくれました。ぼくが仲間はずれであるこ
とを心配してのことでしょう。また、母自身も幼い頃、同様の体験をしたよ
うです。そして、クラスメートが帰るときに母は、自分が手作りで作ったち
らし寿司を、新しい折に詰めてきれいに包んで、彼らに持たせてやったので
す。「おうちに帰って食べて下さい」と母はいいました。しかし、次の朝、
ぼくはひとりのクラスメートの家の前に、母が作ったちらし寿司の折り詰め
が手つかずのまま捨てられているのを見つけてしまいました。もしかして.
.....。そんな予感がして、ぼくは次のクラスメートの家の前を通りま
した。そこにも同じように、母が心づくしで作ったあの寿司折りがそのまま
のかたちで捨てられていました。
小学校の頃、ぼくにとって一番いやな日は運動
会、そして、遠足でした。この二つの儀式の日は
好きなグループと一緒に昼食をとってもいいとい
うかたちになっていたのです。けれどもぼくと一
緒に昼食をとってくれる友だちはただ一人もなく、母が作ってくれた弁当
を、ぼくは味わうこともなくただただ飲み込むようにしてほおばり、食べる
時間を短縮することだけがぼくのひとつのゴールになりました。小学校六年
間、ぼくには友人ができないままでした。

中学に入ってようやく仲間ができました。問題
のある子というレッテルの貼られたグループで
す。でも、ぼくはとてもうれしかったのです。何
故ならば、はじめてそのグループがぼくを友人と
して迎えてくれたのです。
けれども、ひとつの事件が起きました。グループのリーダーからぼくはあ
る一つの命令をされました。当時出来はじめた夜遅くまでやっているスーパ
ーにいって、ある雑誌を盗んで来いという命令でした。女性の裸の写真がた
くさん載っている雑誌でした。もちろんぼくのような状況を生きている人間
すべてが、誰かから命令されたからといって、それをそのままうのみにする
わけではありません。結局ぼくが弱かったのです。自分自身のその弱さを棚
に上げて、被害者であるという言い方はしたくありません。けれども、正直
ぼくは仲間を失うのが怖かった。ただそれが怖いために、彼らの命令に従っ
てしまったのです。万引きをしてしまいました。そのことはいまもってぼく
の心の中に傷あととして残っています。
〜中略〜
20代で一人の女性と出会い、恋愛をしまし
た。ぼくたち二人の将来について話が少しずつ具
体化する中で、結局ぼくは、彼女に別れを告げま
した。彼女の両親や親族がぼくとの結婚に猛反対
をしていると知って、ぼくは彼女から「別れましょう」と言われる前に、自
分から「別れたい」と言ってしまったのです。相手から別れを告げられるこ
とがとにかく怖かったのです。
こんなふうなぼくを、単なる弱い人間という言葉で片づける人もいるでし
ょう。そして、お決まりの根性論で人間強くなれば何でも乗り越えることが
出来ると笑い飛ばすかもしれません。確かにぼくは弱虫でした。ただし、拒
絶や拒否をする人々の背中ばかりを見て大きくなったぼくには、一番愛する
人から拒絶されることがあまりにも恐ろしくて、自分から拒絶するという最
も卑怯な方法を選んでしまったのです。

この手紙を書こうと思ったきっかけは、27才
の誕生日を数時間後に控えたぼくが、今何を考
え、どんなふうに変わろうとしているかを誰かに
覚えておいてほしい。そして、一年たった時、ど
んなふうに変わった自分がいるかをさらに報告をしたい。また、こんなふう
にもいえます。花火をドカーンと打ち上げてしまって、あげてしまったから
もう後に引けないよと自分に言い聞かせたいという思いもあります。ぼくは
もう人の顔色を見て生きるのをやめにしたいのです。おどおどする人生もい
やです。頭ごなしにどなられた瞬間に、何の意味もないのに反射的に小さく
なってしまうぼくがいやなのです。相手が自分より声高にいった瞬間に、相
手のいっていることの中にたくさんの矛盾を見つけても、結局はうなづいて
しまう自分自身とももう訣別をしたいのです。一年後、自分自身がどう変わ
っているか、あるいは、変わることに失敗をしたか、また手紙を書きたいと
思います。ぼくは今、自分自身を猛烈に変えます。猛烈に自分自身を変える
のと同時にこの社会の厚い壁に向かって、はじめてぶつかっていくのだと自
分自身と約束をしているのです。」
という手紙です。
そして、この手紙を書いてくださった彼は、一年後に必ず手紙をくださる
といってくれましたが、一年後ではなく、半年後、ついこの間、手紙がきま
した。

彼の職場において、彼が一つはっきりと異義申し立てをすることに成功し
た。大勢の人々から見れば自分が行った異義申し立てなんか大変小さいもの
かもしれないけれど、自分にとってはこれがはじめの一歩である、という形
での異義申し立てをしたというレポートです。
半年後のレポートを私の言葉に代えてご紹介す
ると次のようなことです。
彼が働いている職場で、社員旅行の時の男性た
ちの大いなる楽しみのひとつにポルノグラフィー
を見るというのがあったそうです。彼はそれに抵抗を覚えていた。ポルノグ
ラフィーそれ自体に全く興味がないといわないけれど、酒の勢いにのって、
大勢の男たちがドアひとつ隔てて向こう側に女性の社員がいることを十分に
意識した上で、ひわいな言葉を投げ掛けて、大声を出し合っている、その雰
囲気そのものが彼自身は耐えられなかった。
しかし、それが耐えられないといえば、自分だけいい格好をして、自分だ
け青っぽい、自分だけ格好つけてといういつもの反論が戻ってくることを十
分に知っていて、彼はいつも仕方なく付き合っていた。けれども、今年の社
員旅行において、例によってポルノグラフィーを見ましょうとなった時、彼
は「ぼくはやはり見たくない」という発言をした。彼の手紙はこう言ってい
ます。
「自分について表現を十分にしてきた人から見
ると、何を今更そんなことで、偉そうにいうなと
いうかもしれませんが、ぼくにとってはたいへん
勇気のいる、そしてそれは、もしかしたら男社会
を敵にまわす、ささやかな行為をとってしまったのかもしれません。ぼく自
身の異義申し立ては数人の青年たちが同意をしてくれて、結局はこの例の儀
式というのはぼくたちの社員旅行からは消えたのですが、ぼくたちが今どの
ように言われているかも十分わかります。ただしこういえます。ぼく自身、
被差別者として生きてきた日々の中で、鞭を打たれ、何人もの男たちに強姦
される女性の姿は、そのままぼく自身のある日、ある時の姿と何故か重なっ
てしまうのです。それがぼくがポルノグラフィーに対して嫌悪感を抱いてい
る理由かもしれません。とにかく半年めのレポートとしてこの手紙を出しま
す。」
という手紙です。
彼の手紙について、そして今の後半部分については、異論のある方もいら
っしゃるかもしれませんが、人権というものを考えるとき、女性の性の商品
化はこっちにおいて、人権は大切ですよ、被差別者の権利を守りましょうと
いうことは、やっぱりどこかにずれがあるのではないかと考えます。「女、
子ども」の人権はどの社会においても二級市民にとどめろと扱われてきた過
去を考えると、このことも考えていただきたいテーマとして、私の中にはあ
ります。
冒頭で私は、私の個人的な体験を社会化、普遍化することと、普遍的、社
会的さまざまなテーマを個人に引き寄せることしかお話をできないと申し上
げました。私自身がやってきた人権問題というのはすべてそうです。
その中でもう一通手紙を読まさせていただきたいと思います。今度は50
代の女性です。
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