|
同和教育もありません。何にもなかったんです。なら ばそれでええかというと一つだけ、差別だけあったん です。それは僕の周りの親も含めて、大人の頭の中に きっちりつまっていました。それがたまにポロッと出る。それを子供が聞 くのです。聞いてきっちり覚えてしまうのです。それは「その事」を語る 時の大人の表情が変にリアルだからです。『ヨツ、エッタ』などの言葉も そのうっとおしそうな表情、語り口と共に記憶されました。僕らに気づく と、大人は必ず「子供が知らんでええことや、向こうへいっとき!」と言 いました。これは完全に逆効果です。「子供は知らんでええ」と言われる ぐらい、子供にとって学習意欲をそそられることはありません。いらんこ とをきっちり覚えてしまいました。罪なことをしてくれたもんです。 子供にとって、周りの大人があんな表情でしゃべったら、なんでも「怖 いもん」になってしまいます。それこそチリメンジャコでも子供が知らん 間は脅しに使えます。「こらッ!そんなことしたらチリメンジャコが噛み にくるで!」「お父さん、何という恐ろしいことを、子供の前でチリメン ジャコやなんて」。これでチリメンジャコは怖いもんになります。次から は「こらッ、早よ寝んとチリメンジャコが来るで!」これで充分に脅せま す。もちろん子供がチリメンジャコの何たるかを知らん間にしか効き目は ありません。「こらッ!チリメンジャコが・・・」「お父ちゃんこれか? 」と出されたら、もうあきません。「そ、そうやカルシウムはきちんと摂 りや」情けないことになります。 チリメンジャコはともかく、昔の親はよく子供を脅かしたもんです。雷 はおへそを取ったし、サーカスに売られそうになったり。みんなでたらめ です。昔の雷はおへそを取ったんです。けど蚊帳で防げたんです。だった らゴルフも蚊帳をつってやったらいいんです。そこでできたのが「打ちっ ぱなし」というのはうそっぱちです。うちは、おばあちゃんが必死で蚊帳 をつりました。それを見たらとても疑うなんてできません。今思えば雷が 怖かったのではなく、必死で蚊帳つるおばあちゃんの形相が怖かったんで す。同和地区もそうです。だいたいどこに地区があるのかも知らんので す。語る大人の表情がうっとおしかっただけなんです。全てはリアクショ ンです。おばけ・幽霊の話をする時、おばけ・幽霊の顔はできません。怖 がっている顔をしてみせて恐怖を伝えます。つまり演技なんですが、やる 方が本気なので強烈なインパクトで伝わるんです。 同じ様にしてだまされたのが「ことりのおっさん」(子捕り)つまり人 さらいのことです。もちろん単なる脅かしです。原っぱで遊びに夢中にな り帰りが遅くなると母親が叫びます。「早よ帰ってこんと、ことりのおっ さんに捕まるでェ!」皆飛んで家へ帰ったもんです。何遍脅かされたこと か。一遍も来たことありません、ことりのおっさん。関東の人はほんまに 知りはらへんですなァ、ことりのおっさん。横浜で話をしたら「ことりの おじさんて何?」と真顔で聞かれました。「何やと思う?」と逆に聞く と、しばらく考えて「わかった!日本野鳥の会の方でしょう」「そうそう 紅白歌合戦で最後に出てくる・・・・なんでやねん」思わず突っ込みを入 れてしまう程大ボケをかましてくれました。 ーカスに売ってしまうでェ!」職業差別です、これは。サ ーカスのおっちゃんが聞いたら怒りますよ。「サーカスに 売られたらなァ、朝晩牛乳ビンで一本ずつお酢を飲まされ るねんで、それで骨グニャグニャになって、曲芸の稽古させられて、うま いことでけへんかったらムチでピシーッ、ピシーッやで」(お母ちゃん、 そら猛獣ショーやがな)サーカス怖かったです。また酢で骨が軟らかくな るというのもまちがいですわ。当り前です。骨が軟らかくなったら大変で す。なのに中学生でクラブの先輩に言われて酢を飲んでる子けっこういま した。あの頃体の弱い子は養命酒を飲むのがトレンドでした。体にはいい でしょうが、酢で骨は絶対に軟らかくなりません。なんでそんなまちがい が広まったのか、僕は「アジの南蛮づけ」が問題やと思います。魚の酢づ けは骨ごと食べられる、ならば酢を飲んだら骨が軟らかく.....なり ません。なんという拡大解釈、なんというおっちょこちょい。けどその時 は信じてたんです。正しい事を知らされて初めてまちがいに気づいたん です。 たいていのことはわからして貰ったんですが、唯一「部落差別」だけは 誰も正してくれませんでした。それで大人になるまで持ち越してしまった のです。それも初めは漠然としたイメージでしたが、長ずるに及んで次第 にリアルなイメージになってきたのです。けど真実は何も知らず、どこま でいってもイメージだけでした。そのうちに初めは「誤った情報によるイ メージ」でしたが、いつの間にかそれが「感情」になってしまっていたん です。部落を好きか嫌いかといえば嫌いになっていました。だから「同和 問題」を知ろうとも学ぼうともしなかったのです。いったん感情になって しまうとこれはなかなか直りにくいものです。好き嫌いは理屈を越えます から。食べ物の好き嫌いと同じです。例えば人参を嫌いなお母さんは「人 参が体に毒や」と思って嫌っているのではありません。それなら毒でない ことを知れば、すぐに直るわけです。体にいいことも知ってるし、家族に も食べさす。けど「私は嫌いです」というのが一番厄介なんです。 人のことは言えません。僕も「いちじく」と「このわた」をよお食べま せん。いちじくはテレビのレポーター役で食べた時NGを出した程です。 帰って母親に「いちじくでしくじってなァ、なんであかんねんやろ」と聞 くと「あんた小さい時、よお浣腸したからなァ」。いちじくのぬれぎぬは 四十年ぶりに晴れました。このわた、これは近所のおっちゃんが食べてる のを見て、食べられんようになりました。僕らが見ていると、頼みもせん のに説明してくれます。「これはな、このわたというてナマコ、知ってる か?あのナマコの腸や、中に入ってるのはナマコのウンチや」(なんでそ んな事を!)。昔はわざと汚い事を言って、子供をびびらせたり、女の人 に「イヤア」とか言わせて喜ぶ情けないおっさんがいたもんです。サザエ の壷焼きを食べる時、うまく回しながら抜くと先っぽの青黒いとこまでき れいにとれる。それを食べるのは勝手ですが、一言いらん事を言うので す。「あんたら一番おいしいとこ食べんでどうすんねん、サザエはなァこ のクソのとこが値打ちやがな、ガハハハハ」(黙って食え!)。このおっ さんがこのわたをすすり込んだ。僕らは何とも言えん緊張感で見守ってい た。なんとその時このおっさん、くしゃみをしたんです。これは悲惨でし た。ヘーックション!同時にこのわた、おっさんの鼻の穴からズルーッ( うわあああ!)。以来このわたを食べられません。考えてみたら、このわ たは一つも悪いことありません。すすられて上がり、くしゃみで鼻から降 りてきただけです。いちじくも、このわたもぬれぎぬです。食べ物なりゃ こそ笑い話で済みますが、これが人間に対してええかげんな情報で勝手に 悪くイメージし、事実を知ろうともせず、食わず嫌いのままにしておく。 する方は気楽やけども、される方はたまったもんやない。無知とか物の見 方の狭さなんて、本人が損をするだけやったらほっといてもいいんです が、偏見を持たれる人が計り知れん程迷惑するので、やっぱりこの”食 わず嫌い”を改めて貰わな仕方がないのです。 いは正すしかないわけです。 僕らにとって大切なのは、真実の前に素直になるとい うごくごく当り前のことなんですが、こと差別となると頑固になってしま うんですね。僕にとって同和問題の難しさはまさにこの部分の僕の心の難 しさであって、難しい同和問題が目の前に横たわっているのではないので す。当り前の事を当り前に捉える事のできない僕、こいつがほんまに難し い。 |