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ポイ置きというのが横行してます。ポーンとほるのは気が ひけるのか、ソッと置いときよる。電話ボックスとかブロ ック塀、ひどいのは排水口のビニールパイプの中につっこ んである。僕は断じて許せません。ならば腹をたてるだけ ではなく「自分はポイ捨て、ポイ置きは絶対しない」と決 めています。何万本ポイ置きがあり、それに僕の一本ぐら い増えても大勢に影響はない。けどこの一本は僕にとっては100%や。 100%ポイ置きするか、きちんとゴミ箱に捨てるかでは、空き缶一個分 やけど僕の主体性が問われている。おおげさなようですが、主体性なんて そういう事の積み重ねやと思います。自分で考え、自分で決めて、自分で 実行してゆく。人がどうとか、世間がどうとかは別の話。まずは自分の気 持ちを大事にするんや。こう考えれば空き缶一個でも清々しい気分になれ ます。するとポイ置きしてあるのもゴミ箱に捨ててやろうという気になり ます。わざわざ求めてまではやりませんが、ちょっとの手間でできる時は やってます。ポイ置きをするおっちょこちょいもいるが、きちんとゴミ箱 にすてる真面目なおっちゃんもいるという事を見せるのです。だから周り にわかるように一遍缶を上に上げて見せます。そして「ほるぞ」というパ フォーマンスをしてからゴミ箱へ。調子に乗って回してたら、中味が残っ ててチャポンと頭にかかったこともあります。そして自分がきちんとやっ ていると、人にも注意できます。 女の子四人組、電車の中でジュースを飲んどりました。終点に着くと四 人が四人とも当然のように窓の所へポイポイと置いて行こうとします。黙 っている僕ではありません。「ダメじゃないか、きちんとしなさい!」僕 は、若い女の子には強く出られるんです。相手が恐そうなおっさんやと知 らんふりします。そらそうです、空き缶一個で張り倒されたらかないませ ん。そやから言ってます、「できる範囲で。」って無理する事はありませ ん。できる範囲で頑張ればいいのです。できる範囲で頑張って、それから 範囲を広げていったらいいのです。大事なのはあくまで「自分から、本気 で」という事です。僕はできる事はやる、できん事はやらん。きっぱりし てます。相手によってきっぱり態度を変える。実に筋の通った性格であり ます。で、きっぱり言うた。 「ちゃんとしなさい!」「すみません」と言いながら戻ってきた。悪い 娘ではありません。そしてバラバラの四本をちゃんと隅へ揃えて出ていき ました<オイオイ>。時にはから振りもしますが「自分から、本気で」を 大事にしてます。 僕はこの「自分から本気で」というスタンスを「同和問題」から学びま した。「差別があかん、まちがいや」というのは誰でも知ってます。けど なかなか本気で自分から差別をしない、させないという事になりません。 「差別があかん」という事をほんまにはわかっていないのです。「差別が あかん」という声がある事を知っているだけです。「知っている」と「わ かる」の間にはかなり深くて広い溝があります。情報として知ってる事を 「わかる」ためには、核になる経験と実感、それを広げてゆく想像力が要 ります。これは地震の怖さ、戦争の恐ろしさ、失恋の辛さ、差別のしんど さ、命の尊さ、すべての事に言えます。ほんまにわかるという事はなかな か難しいことです。 僕には甥や娘がいます。その子らが将来恋愛、結婚という時、相手が被 差別部落の人だった場合、僕の本気が問われます。僕はちゃんと言うつも りです。「差別はまちがいや。相手の中味で判断したらええ。できるだけ の応援したるから頑張りや」。ところが世間にはいざという時ごまかす人 がいます。「差別はあかんで、けど世間にはまだまだ頭の固い人がいて る。そんな人とも付き合っていかなならんのが人生ちゅうもんや。しんど いめをするのは君やでェ。ワシは別にええけど、他の親戚がどう言うかな ァ。いやあんたの為を思って言うたるねんで。それにあんたら二人はまだ にできた子や。みすみす差別される事がわかってて不幸 な子を作るやなんて、それで親として責任持てるか?い やアンタの為を思って言うてるねんで、差別はあかんけ どなァ」。差別はあかんと言いながら、きっちりと差別 を押しつけてます。僕はこんな卑怯者にはなりたくありません。何故なら 差別はまちがいやとはっきりわからしてもろたんですから、もう二度とま ちがいたくないのです。 |