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江戸時代のように、身分制度があって差別されてきたことと、制度がなく なってもなお被差別部落として差別されていることはおおいに違います。 今日の差別は、もはや制度の問題ではなくて、日本というひとつの文化圏が 日本語を使ってつくりあげてきた、そういう文化の質あるいは規範といっ たほうがいいのかもしれませんが、こういうもののなかに被差別部落の人達 に対する差別がつくられているのだと思います。 差別は当り前で、一緒に遊ぶことすら考えられない、一 緒に飯を食わない、始めから除外するということが、ず っとあるわけです。 明治、大正、昭和という元号をいだく日本の社会がもった文化のなかにそう いうのがあるわけです。この差別は女性に対して向けられたこともあれば、 身障者やハンセン病の人に対しても向けられました。江戸時代のような革の 流通のために制度化されたなかに、はめ込まれた差別とはまったく質の違う 差別の問題に、今の私どもは直面しています。 筒井康隆氏の断筆問題は、いろんな人がいろんなことを考えたんだと思い ます。誰かが問題提起すれば、そのことで日本の文化の質のようなものが 変わっていくわけで、その変わり方が急激な変わり方ではなくて、細かくお 互いにこの問題はどうすればよいのかということを言いながら、少しずつ変 わっていく。ですから、差別の問題は、いつか私たちの持っている文化をも う一度問い直すとき、大きなテーマになって来るのではないかと、そんなふ うなことを考えています。 (おわり)
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