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そうだとすると、表現・言葉に、被差別者や障害者たちのことをおもんば かった気配りが無いのも、不思議ではありません。最初から、そうした 弱者をあげつらい、マイナスのたとえ・ことわざに使ってきたのですから。 障害をあげつらった言葉が、いまでも堂々と? 日本語になっています。中には、 初めは差別的ではなかった言葉が、障害者 への差別が慣習になり、偏見をもって 使われてきたため、いつしか差別的に なったものさえあります。「めくら」などはその一つでしょう。 つまり、「からかいの文化」です。文化は立派なものとは限りません。 誇れませんが、社会慣習になっている「からかい」は厳然とした文化 なのです。 私は元来、「人間性善説」主義ですが、最近は危惧を感じています。 “悪しき慣習”が、広がりつつある、との恐れが消えないのです。 一つの証拠が「腹立ち」「不愉快」が身近な社会に頻発してきている、 のです。
ときの不愉快さ、腹立ちこそ、人権を考える 基本です。「割り込み」なんかが恰好の例です。 きちんと待っている、あるいは運転しているのに 割り込まれる。実に不愉快です。 「存在」と「意思表示」は人権そのものです。 何かしていてもしていなくても、その人の 「存在」です。やりたい、やりたくない、という 「意思表示」は一人の人間が生きているそのもの です。例えば、割り込まれるというのは、その自分の人権を軽視される ことです。だからこそ、腹が立ち、不愉快感が広がるのです。 「無性に腹が立つ」時は、ほとんど自分の人権が軽んじられた時です。
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