在日コリアンの人権について

1.はじめに

 日本列島と朝鮮半島とは日本海をはさんで隣国同士という位置にあります。歴史的にも二千年以上にわたる永い友好と交流の歴史が存在しています。しかし、17世紀の豊臣秀吉による二度の侵略戦争(文禄・慶長の役)と、日本が朝鮮を36年間、植民地として支配したという不幸な時期がありました。このため、現在までも日本と韓国・朝鮮はお互いが、「近くて遠い国」という思いをもつようになったのです。

 日本が朝鮮を植民地として支配していたことが原因で、現在、日本には約62万5千人の韓国・朝鮮籍住民が居住しています。日本在住の全外国籍住民の数は約185万人で、在日韓国・朝鮮籍住民が全体の約34%を占め、一番多い外国人といえます。

 戦前、戦後を問わず、在日コリアン(※注)は日本社会のなかで様々な差別を受けながら生きて来ました。日本国籍を持っていないことを理由に、住民としての義務、納税は果たしながらも参政権は現在もありません。国民健康保険や国民年金などの社会保障制度の適用が受けられなかった時期もあり、現在も排除されたままの状態が一部に残っています。
 公務員の採用において、在日コリアンは国籍条項のため採用から排除され続けてきましたが、1973年に阪神地方7市で地方公務員採用における国籍条項がはじめて撤廃され、徐々にこの動きが拡がりつつはあります。
 また、行政が定住外国人を採用しないことにならって、日本の民間企業においても在日コリアンが採用から排除される状態が続いていました。1970年代半ば以降、国籍を理由として採用しないということは表立っては減りつつあるといえます。
 このような国籍条項撤廃に向けての動きは、当事者である在日コリアンや日本市民とのさまざまな活動・運動によって改善されてきましたが、日本社会にはいまだに在日コリアンに対する民族差別意識は残っています。在日コリアンであるという理由だけで、暴言やいじめ・暴行を受けるという事件は現在も後を絶ちません。

 21世紀は「人権の世紀」ともいわれています。国連人権規約をはじめとする人権に関わる国際条約などに唱われているように、何人も人種、国籍、性別、宗教などを理由に基本的人権を侵害されることは赦(ゆる)されません。民族差別的制度や言動が、マイノリティーである外国人に対する重大な人権侵害であることを理解する必要があります。
 日本社会が、民族差別のない真に開かれた共生社会となるためにも、より身近な存在である在日コリアンの人権について考えねばなりません。なぜなら、両国の歴史性から見て、日本社会が解決すべき問題であるからです。

(※注)在日コリアンとは、韓国・朝鮮籍を持っている人々だけではなく、国籍を問わず朝鮮半島にルーツを持つ人々も含めた意味で使用しています。

2.古代から明治までの日本と朝鮮との関係

 古くは、「弥生文化」と称される稲作や青銅・製鉄技術などは、朝鮮半島からもたらされたものです。また、土器や織物の製造技術、家屋、寺院などの建造技術や、仏教、漢字、絵画などの文化は、朝鮮半島にあった加羅(から)、新羅(しらぎ)、百済(くだら)、高句麗(こうくり)などからの渡来人がこの日本列島にもたらしました。

 遣隋使、遣唐使のことはよく知られていますが、朝鮮半島との関係でも、7世紀に新羅との間で40回もの使節が往来したことや、8世紀から10世紀の間、渤海(ぼっかい)国との間で49回もの使節往来が存在したことはほとんど知られていません。また、足利幕府と高麗(こうらい)国の14世紀における使節往来の事実も同様でしょう。

 先に述べた豊臣秀吉による二度の朝鮮侵略により、100万人を越える朝鮮人が殺されたといわれています。このとき、多くの儒学者や陶工技術者、一般の朝鮮民衆が日本に連行され、これらの朝鮮人がその後、日本の朱子学の発展や、有田焼、島津焼、萩焼などの陶磁器製造を担いました。また、一般の朝鮮民衆の一部が奴隷としてポルトガル商人に売られたりしたという事実もあります。

 徳川家康は以前のように日本と朝鮮国との修好を熱望し、朝鮮国との国交回復に尽力しました。「鎖国」の時代といわれた徳川幕府の260年間に、12回もの「朝鮮通信使」と呼ばれる大使節団が日本に来ていたという事実も最近になってやっと見直されはじめたのです。
 このように、秀吉による侵略をのぞいて両国の間には永いあいだ、「善隣外交」が保たれていたといえます。

 ところが、明治に入り日本は欧米列強に追いつけ追い越せとばかり、それまでの隣国、朝鮮国との友好関係を捨て去り、武力でもって朝鮮を植民地とする動きを見せ始めました。

次回は、日本の植民地統治の実態などについてQ&A形式で説明いたします。