大阪府堺市で19歳の少年が幼稚園児ら3名を殺傷した事件で月刊誌「新潮45」が実名と顔写真を掲載しました。登園途中の5歳の女の子が殺され、かばおうとした母親が重傷、また女子高校生も刺された事件です。新潮社の見解は【1】まれにみる残虐非道な凶悪犯罪、【2】あと半年で20歳、現行少年法は現実から乖離しているということであった。
判決内容は、一審では「(1)少年法61条は、本人とわかる報道を禁じている。(2)また少年の利益や更生に格別の保証を与えている。(3)今回の報道は、少年のこれからの利益を上回る公益上の利益があったとはいえない。」として少年側の勝訴となった。
高裁での判決は次のとおりであった。「少年法61条は、実名で報道されない権利を与えているものではない。この規定を守るかどうかは、自主規定にゆだねているのである。この問題は、表現の自由とプライバシー侵害の調整であるが、表現行為が社会の正当な関心事であり、表現内容・方法が不当でないならば違法ではない。」と新潮社側の逆転勝利とした。
この問題からは、基本的人権同士がぶつかる場合、その調整については法廷での見解も異なる難しさがあることを知っていただきたいと思います。世界的な規模での変化が速いスピードで進展する21世紀は、このような見解の相違、また判断の基準の変化がいたるところで見られることでしょう。
さて、この判決についてはどうでしょうか。この事件は高裁で確定したのですが、高裁の裁定からは、少年であるが故の保護は空文化してしまうように思われます。つまり、少年であるための保護がなくてよいのかという問題が依然として残るということになります。どう考えますか。 |
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