お金が無く、腹を空かして毎日、野草を食べる夢を見た。先日、東急線の車窓から何気なく見えた多摩川河川敷の枯れた葦原の中、水辺近くに点々と並ぶ小屋のブルーシートの青さが目に焼きついたこと。また、読んでいた小説の主人公(野宿生活者)が漁る残飯の腐った生卵だけはいただけないとの記述に同感しつつ、その臭い・味・舌触りを想像してしまったこと。多分この二つの記憶が重なって夢になって出たのだろう。
子どもの頃の思い出になるが、夕飯時を見計るがごとく物乞いの人が玄関先に立つことが年に数回はあった。母子家庭で貧しかったが、母はそそくさと炊けたばかりのご飯と梅干でおにぎりを作り、何か元気付けの言葉を掛けて渡していた。いつもは2杯のご飯のお替りがその日は1杯半になり多少の被害者意識はあったが、母の思いやりたっぷりな対応を見ると文句も言えず、理屈もなく物乞いの人たちの存在を「お互いさま」と認める家庭環境であった。
今日、物乞い行為は軽犯罪法や条例などで禁止となっている。だが、法的理由を除いたとしても、物乞い者に玄関扉を開けてくれる家庭があるだろうか?
されど、明日の我が身の行く先は誰にもわからない。もし、食べるお金にも事欠く生活が現実となったその時、残飯ではなく、「お互いさま」の気持ちがこもった食料の施しを受けられる時代でありたいと思う。ちなみに、日本で捨てられる残飯量は国民一人あたり年間約170kgと世界一らしい。
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