エッセイ

そう思うのは自分だけ? 松渕 次雄
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 最近、余生とか老後といった言葉が気になるようになった。以前は平気で使っていたが、団塊の世代に身を置き退職の二文字を意識しだしてから妙にこだわるようになった。
 【余生】・・・広辞苑では、残りの人生。老後に残された人生。「静かに― を送る」とある。一生の残りの部分。余命。となっている辞書もある。ついでに余命を辞書で引くと、余生。「― いくばくもない」とある。これだと何だか、残された、余った人生を生きているようで寂しくなる。「余生」には嫌な響きがある。
 毎年、人権の標語がたくさん寄せられる。いつもそうだが、一つ一つ読んでいくなかで改めて人権の大切さを教えられている。"個性を認めよう"といった標語もたくさんあった。確かに相手の個性や考え方を認めるのはとても大事なことだ。しかし、個性、生き方、考え方を認めるということは、それだけ人のことを考え理解する力がないとできない事だと思う。それができないと独り善がりになり相手の人に迷惑をかけてしまう。
 あまり好きになれない言葉⇒【老後】は、「余命いくばくもない余生をひとり静かに送る」のではなく、今後も多くの人とかかわりながら、人のことを考え理解できるようになるために人権を学び、人に迷惑をかけないように心がけたい。


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