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職場では空調のきいた快適な空間で、パソコンという仮想的な「窓」を通して物事を見、そして考える機会が想像以上に多くなった。キーボードを叩けばきれいな文字も絵も写真もそこには出てくる。また家に帰ればテレビという「窓」に世界中の情勢や風景がカメラを通した画像でひっきりなしに流されている。そして私達は大いに想像力を膨らませ多くのことを理解した気になっている。
しかし、そこには砂漠の熱風も肌を刺す極寒の吹雪も叩きつける豪雨も、そして飛び交う弾丸もない。パソコンやテレビの「窓」が、私達の「心の窓」にどのような影響を及ぼしているのかを常に考えていなければならない時代になった。生身の人間に押し寄せる現実、当事者の声・状況を知ることは難しい。「窓」だけを見て全てを理解した気に陥る危険を充分認識していなければならない。戦場に立つことの是非はあろうが、出来ることなら現場に立ち、当事者の声を必死で聴き、「心の窓」を広げ感性を磨き、真実はなにかを深く考え想像する必要性がより重要になってきている。そして「心の窓」の窓枠は多様な文化や言葉、そしてそれぞれの個性を持った人を人として認め合える「ヒューマンライツ」の精神で囲わなくてはならない。
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