エッセイ

何気ない会話から見えてくるもの 山内 理恵 

テレビの報道を見て感じたこと  弊社では年1回、社内各部署に配置している人権啓発推進員向けの研修を実施しており、今年は5月に多民族共生センターの李美葉(イ・ミヨップ)さんを講師としてお招きした。在日コリアン2世から見た日本の姿、いまだに残る外国人差別の実態といったお話を聞く中で、私は高校生の時に在日コリアンの友人と将来の進路について話した時のことを思い出していた。
 「私は将来、弁護士になりたいなぁ。」
 「T大学目指すなら国家公務員の道は考えないの?」
 「私は韓国籍だから、日本の公務員になる資格がないんだ。」
 「え???」
 彼女が在日コリアンであるという事実を知らないわけではなかったが、当時の私は、自分と同じ権利を日本生まれ・日本育ちの在日の人々も当然持っているものと信じ込んでいた。しかし目の前の友人には選挙権や国家公務員の資格がない。その現実と自分の思い込みとのギャップに気づいた時、私は今までの無知をひどく恥じたが、同時に自分の知らない世界を知るチャンスを与えてくれた彼女に感謝した。
 人と話をしていると、悲しいことにその人が持つ潜在的な差別意識が垣間見えてしまうことも多い。しかし一方で、異なった視点からの意見や自分にはない価値観を相手が提供してくれると、今まで見えていなかった部分に光が当たり、視野が広がる。「人は学ぶことをやめた時に成長が止まる」とよく言われるが、日常の何気ない会話の中からも何か学び取る姿勢を常に持っていたいものである。


戻る  ホームに戻る