縁切りから縁結びの里 

image私のふるさと群馬県新田郡尾島町に今からおよそ10年前、1992年10月にオープンした町立の「縁切寺満徳寺資料館」を訪ねた。

鎌倉の東慶寺と並んで日本に2つ、そして世界にも例を見ない縁切寺としての機能を持っていた満徳寺は、「駆け込み寺」ともいわれていた。満徳寺は、徳川家の位牌所でもあったが、徳川家発祥の地に檀家を持たず徳川家の庇護のみに依存していたため、江戸幕府が崩壊してまもなく、1872(明治5)年に廃寺を余儀なくされた。しかし、地域の人々はかつてのお堂を縮小・移築して集会場とし、本尊・位牌類を維持保管していた。資料館にはこれらに加え離縁状、駆け込みから縁切りまでの「縁切寺法手続き」などの資料がわかりやすく展示されている。

江戸時代、多くが三行半程度で書かれていたことから「三くだり半」が代名詞ともなっている離縁状。「三くだり半」をたたきつけ、夫が自分の意のままに一方的に妻を離縁できるのに対して、泣く泣くその離縁状を持って実家へ帰っていった哀れな妻を私たちはイメージさせられるのではないだろうか。

しかし、「満徳寺は、頑強に離婚を拒否する夫に対して、最終的には江戸幕府の権力を背景に離婚を成立させるために存在した寺であり、夫から離縁状を出させるなど、再婚へのパスポートを与える寺でもあった」そして、収集した1,000通あまりの離縁状から見えてくるものは、「夫に忍従しない妻の強くたくましい女性の姿であり、夫婦(夫婦を取り巻く両家の)間の協議による『熟談離婚』や、しぶしぶ妻に迫られて離縁状を書いたケースも少なくなかった」と、ライフワークとして離縁状の収集・研究に取り組んでいる館長の高木侃(ただし)さんは言う。夫から逃れ寺の仲裁によって離婚に至るまでの避難所(アジール)でもあった満徳寺。これをうまく利用した、したたかでたくましい江戸の女性たちの姿も浮かび上がってくる。

「駆け込み寺の門に足を踏み入れるときは縁切り、門から一歩踏み出すときは縁結び」という高木さんの言葉が心にしみるとともに、女性解放の原点がここにあると感じた一日であった。

皆さんも、史実への出会いを求めて、縁切寺満徳寺資料館を訪ねて見ませんか。


縁切寺満徳寺資料館については、資料館のホームページをご参照ください。
http://www8.wind.ne.jp/mantokuji/index.html