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1999年11月、バンコックを訪問した。
タイのスラムは、急激な国の近代化、開発政策のひずみによって生じたとされている。
クロントイスラムの場合、クロントイ港の開発、拡張に伴う港湾荷役作業の増大と共に、その労務者が全国各地から集まり、この人達が湿地帯に住み着いたことに始まる。しかし、その後の通貨危機・経済不況から景気は低迷し、この地区で働く多くの人々は、職を失うこととなった。
地方から来た人たちは、田畑を売ってバンコックに出てきた人が多く、帰ろうにも帰れない。仮にうまく帰農できても、結局は、借金が増えるばかりで、やがてスラムに戻るのが現実のようだ。
そして、仕事のない状況の中で親の麻薬中毒や犯罪が家庭を崩壊し、行き場を失った子どもたちが、麻薬や犯罪に染まったり、少女たちは売春に走り易いとも聞く。また、夜9時頃、小さい子どもが路上で、花輪を売っている光景をよく目にした。こういった収入のお陰で、漸く一家がその日の糧を手にするケースもあるようだ。
私は、現地NGO・プラティープ財団の案内で、このクロントイスラムを視察したが、バンコックには、スラムが1,800個所あり、そこに200万人以上とも言われる人々が住んでいるそうだ。
このクロントイスラムにも、10万人が住んでおり、24のブロックがある。視察した地区もそのブロックの一つであったが、10年ほど前に、路地が舗装され、水道、電気も引かれたという。しかし、迷路が行き交い、ベニアやトタンの古材で造った狭い家がひしめき、その中に多くの人々が住んでいた。また、この地域は湿地帯であり、水はけの悪い場所には水が溜まり、これが澱んで臭気を発生させている場所もあった。ただ、この地区はNGOの支援活動が大変活発で、最も恵まれたスラムであるとのことだった。
タイの地域開発、工業化は、目覚しいものがあるが、この流れに取り残されたスラムの現実、その実態は凄まじい。それの解消、支援へのタイ政府の対応は、現実のスピードに追いつけず、多くをNGOの活動に頼っているのが実情のようだ。日本からもSVA(曹洞宗国際ボランティア会)が、タイの現地・財団法人シーカー・アジア財団を通じて、教育文化支援(図書館、保育園)・人材育成事業(職業訓練、農業研修)・地域開発事業(麻薬・覚醒剤キャンペーン、高齢者福祉)などに取り組んでいるが、解消にはまだ、長い時間がかかりそうだ。
日本では、恵まれた環境の中で、学校教育において「心の教育」が叫ばれているが、タイのクロントイに住む多くの子どもたちには、義務教育すら受けられない現実のギャップに目が眩む想いであった。ただ、出会った多くの子どもたちの瞳は、シャム湾に沈む夕日のように輝いていた。
日本で、この子どもたちに何ができるかといった想いを馳せ、子どもたちの健全な成長を祈りつつ、帰国の途についた。
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