エッセイ

忸怩たる思いの体験 島本 博行

写真  私事で恐縮ですが、昨年の秋、思いがけないアクシデントで

左足膝に受傷し、一週間ばかり会社を休む羽目になりました。

たまたま、大阪の自宅に帰宅中でしたので、最も傷の痛む時期

は妻に助けられ、何とか事なきを得ました。ところが、いざ会社出勤となって、

自宅から東京への帰路にはじまり、東京での単身生活や、通勤路で今まで味わっ

たことのない苦痛を体験することになりました。単身寮生活での不自由さはいう

までもなく、駅での階段の連続、段差の多い道路、足を引きずりながら歩行して

いるのに後方から邪魔だとばかり押される等、本当に惨めな気持ちになりました。

反面、下りのエスカレーターのありがたさ、ドアに手を添えて待って下さる方の

親切も身にしみて感じました。一過性の体験のみでおこがましい限りですが、思

いがけない怪我を通じて、「五体不満足」の著者・乙武 洋匡さんの偉大さを今更

ながら痛感するとともに、障害をもつ人たちへの自らの今までの態度や認識がい

かに他人事で不十分であったかを思い知らされました。啓発担当者の一員として

忸怩たる思いです。




当たり前の社会 阿部 和加子

写真  障害者青年学級という活動に参加をしています。

 地域の福祉作業所や企業で働く、主に知的障害を持つ方たち

との豊かな時間をみんなで過ごそうというものです。

 みんなで餃子をつくろう!ということになり、公民館の調理室を借りて調理を

しました。

 後からお母さんたちの話を聞いたら、会場を提供してくださった管理者の方が、

「知的障害を持つ人たちが、包丁やガスを使って大丈夫なのかね?」と言っていた

とのこと。「危ないのでは?」と気に留める方もいるようですが、調理は特別なこと

ではありませんよね。ただ、サポートを必要としているだけなのです。私もハンデ

ィキャップを持つ人と接したことがなかったら、きっと同じ質問をしたでしょう。

 「ノーマライゼーション」を考えるとき、ハンディキャップのない人の立場からも、

ハンディキャップのある人と関わる権利があるといえます。お互いが出会う場が、

日常にないとすれば、それは、私たちの社会にとって、他を理解することの欠如に

つながる大きなマイナスだと考えます。

 ともに参加して一緒に楽しむことができて、その中にハンディキャップのある人

もない人も一緒にいる。そんな、当たり前のことが当たり前にできる社会であって

欲しいです。


『小説「破戒」のモデル・大江礒吉の生涯』荒木謙先生の講演を聞いて 杉本清
写真  人権啓発担当者が、一度は読むという島崎藤村の

小説『破戒』。被差別部落出身の教師を描いた小説

であり、主人公・瀬川丑松と猪子連太郎のモデルが、

実在した大江礒吉という人物だったということはよ

く知られている。小説では、自らの出身を小さな教え子達に明かしたのちアメ

リカ・テキサスへ逃げるように行ったことになっているが、実在の大江礒吉は

長野から大阪・鳥取・兵庫へ、差別と斗いながら教職への情熱をかけている。

 礒吉の兵庫県柏原中学校長の就任に多くの人が介在し、また礒吉がアカデミ

ックで闊達な学校をめざし、自由主義教育を歩み個性尊重の校風づくりに励ん

だこと、そのことが現在の教育にも通じる大きな業績を残した事などを知った。

 質疑応答にも、荒木先生の熱気を感じ、機会があればもう一度是非お聞きし

たい内容である。


半歩ずつでも近づけば 河原崎 晴美
写真  私は視覚に障害を持っていますが、現在、図書室

でパソコンによる図書の検索、雑誌のバックナンバ

ーの利用案内、図書の更新、インターネットを利用し

た情報収集などの仕事をさせていただいております。

中心に少し視力が残っていますので普通の文字は読むことが出来ますが、歩く

ときは社内でも白杖を使っています。

 「見えない」ということでいろんな経験をします。たとえば、エレベータ

ーのランプがついた場所が分からずうろうろ探していても黙って後ろに立って

いる人、さっさと乗ってしまわれる方、親切に「エレベーターはこちらですよ」

と教えて下さる方などさまざまです。ちょっと声をかけてくださるだけでとて

も助かります。

 また、探されている本のプリントを渡されることがよくありますが、どこに

必要としている本のタイトルが書いてあるのか探すのに苦労をします。こんな

時も口で言っていただけると、覚えているものはすぐにお答えできますし、お

話をうかがいながらパソコンで検索もできます。

 パソコンが普及し、価格が下がるなか、パソコンを活用して社会参加してい

こうとする障害を持つ人が増えています。こうした道具を使って社会に出て多

くの人たちと出会うことができれば、お互いの理解も進むのではないでしょう

か。


 私は電車を使って通勤しておりますが、階段を降りようとしたときや電車に

乗ろうとしたとき、親切心で腕を取ってくださることがよくあります。

 しかし、無言で突然腕をつかまれることに、実はとても怖い思いをします。

親切心からの行動なのでお断りすることもできず困っています。何かひと言が

あればありがたいのですが・・・。

 お互いに相手の事を「知らない」ために、かえって傷つけてしまうことはよ

くあることですが、障害を持つ者と健常者がお互いに半歩ずつでも近づく努力

をすれば、両者の間にある隔たりがもっと少なくなるでしょう。
 「障害者がいることが当たり前、それが自然な社会」になるよう願っていま

す。


フリー・フェア・グローバルと人権に思う 雑賀 恭一

都会の写真  昨年、大蔵省幹部の講演会で、現在進行中の金融

ビッグバンを始めとする経済、政治等の諸改革の3

原則は、フリー、フェア、グローバルであるとの話

を聴いた。社会主義国(人権の視点から見れば、自

由よりも平等の重視、自由権より社会権重視の体制)の凋落を背景に、現在、

個別企業や個人の自由な経済活動重視の考え方が世界の潮流である。欧米流の

自由経済も失業や金融面での投機の行き過ぎなど、現実には大きな問題を抱え

ているが、理念としてのフリー、フェア、グローバルはそれぞれ深い意味を持

っていると思われる。とくに、日本人には理解しにくいといわれる‘フェア’

の原則が、‘フリー’の原則とセットになっているのは、大事な点であると思

う。

 上記3原則は、主として経済分野の話として理解されているが、様々な点で

変革期にある日本の企業において、‘人権と企業のあり方’を考える場合にも

意識しておかねばならない重要なキーワードであると思われる。


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