エッセイ

感性を磨く十代

挿し絵 先日、新聞のコラム欄に『「生きる」を考えるとき』(NHK出版)が紹介されていました。

 『この本では、著名人15人が「わが十代」を振り返り、鬱懐や挫折と無縁の青春はない。しかし、形は様々だがそれらは例外なくやがて人生の貴重な一部になる。』とありました。

 この事について、私の場合は鬱懐や挫折とは言えないかもしれませんが、私も自分の体験から肯けることがありました。 それは今を去ること……年前の夏休みのことです。

 高校生活の思い出にと思い立ち、北関東のとある町から友人と2人で東北一周自転車の旅に出かけました。最初は元気よく飛び出して舗装された道を快調に北上しました。青森からは予定にはなかったのですが北海道に渡り、北海道はヒッチハイクで札幌まで行き折り返しました。青森からの帰りは日本海側を回ることにしましたが、町中を除くと砂利道が目立ちました。そのころから疲れも出てきましたが、その分人情に触れ合う機会も増えました。

 たとえば、山形県のある町で野宿をするかそれとも疲れていたので公民館にお世話になるか考え、道行く人に「公民館はどちらの方ですか?」と尋ねましたところ、「案内してあげるよ」といって公民館まで行き、折衝までしてくれました。その日はあいにく使用中ということで、宿泊させてもらえませんでした。それではということでテントを張ってキャンプをしようとしたところ、道すがら話したこの自転車旅行を大変気に入っていただいたようで、「よしわかった、それでは俺の家に来い!」と、こちらの言うことを聞いてくれません。その晩はお言葉に甘えてお世話になることにしましたところ、見ず知らずの高校生を一家あげて大変歓迎してくれました。これには2人して大いに感激してしまいました。

 この自転車旅行では苦しいこともたくさんありましたが、いろんな親切や思いやりに直に触れることが出来、また、なせばなると言うことも体得することができ、とても机上の学問では身に付かない貴重な体験をすることが出来ました。この様なことからも、十代には感性に接することの出来る何かを行うことはとても大切な事だと感じています。昔から"可愛い子には旅をさせよ"とも言います。ぜひ、外に出て他人と大いに接するようにして欲しいと思います。しかし、そうは言ってもいろいろ難しいこともあります。大人達はこの様なことがし易いように大きな心で見守ってやると同時に、環境を整えてあげることが大切なのだろうと思う今日この頃です。


戦没画学生慰霊美術館「無言館」への旅

挿し絵 梅雨明け直後の日曜日、別所線塩田町に降り立った。信州上田市の南西に広がるこのあたり塩田平は「信州の鎌倉」と呼ばれており古刹も多い。30〜40分も歩くと前山寺の前に出た。隣接する信濃デッサン館の庭から遠方を望むと、松林の中に薄いグレーの建物が見える。さらに10分ほど歩いて、山王山の丘のいただきに建てられた戦没画学生慰霊美術館「無言館」に到着した。

 東京美術学校(現東京芸大)や帝国美術学校(現武蔵野美大)、多摩帝国美術学校(現多摩美大)に在籍し第二次世界大戦で戦没した画学生慰霊のための美術館である。作品だけではなく、愛用していた絵の具や絵筆、戦地からの絵入りの手紙やスケッチなどの遺品が飾られている。妹をモデルにした太田章さんの『和子の像』は今もみずみずしく、伊沢洋さんの『家族』には一家の暖かさが漂っている。どの作品も多くを語りかけてくれるので諸々の思いを込めて観る人達はみな無言だった。

 「無言の人」を続け、私は館の外へ出た。千曲川の流れを見渡しながら、無念にも戦火に散っていった画学生にしばし思いを馳せる。戦後50余年を経て、戦争そのものが風化しつつあるといわれている昨今、改めて平和に感謝した。


共に喜び合う社会へ

挿し絵 私は東京産まれで同和問題について知る機会を持ちませんでした。会社の人権啓発研修で初めて部落差別を知りました。

 しかし、別のかたちで人種差別をくやしく感じていることがありました。それは、職業とする電子顕微鏡の研究会で、とてもよく勉強をされ、常に後輩、初心者に対し、気安く相談にのって下さり学術的知識も十二分であり、博士号を2つ持つ立派な人格者でしたが、医学部の教室所属で、補助的な存在でした。(助手以下の対応)それは、韓国人であることが多分に影響していたようです。

 ところが2年程前に論文数が多いことと実績が認められ、K大大学院自然科学研究科の教授に決まりました。我々、仲間で祝賀会を開きお祝いをしました。本当にうれしかったのです。その時の言葉の端々に、小さいときからいじめを受けていたこと。それが、兄弟、親戚中であったこと。小さい時から、おじさんに日本で生きていくには、それなりの覚悟と人一倍の努力をして、なににも負けないようになること。

 そこで、頭脳で勝負するべく医学を選んだそうですが、やっと苦労にむくいいれられました。本音でお話されるとは思いもよりませんでしたが、そこでその人物像をさらに理解することができました。

 私たち仲間は、みんなで我事のように祝福しました。このようなことは、だいぶ無くなってきていると思います。次世代には、考えられないこととなるでしょう。そのような社会であって欲しいと望みます。


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