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ボクは1978年、愛媛県宇和島市の被差別部落に生まれた。小学6年で「部落出身」という立場を知り、マイナスイメージをひきずっていたボクは、中学3年生の時、福岡で部落とのプラスの「出会い直し」をする。「川口くん、部落に生まれたことを恥じとりゃせんかい。差別はする者がいるから、される者がおるんや。恥じることはない、胸はって生きんしゃい」識字数室の交流会に参加していたおばあさんの発した言葉の重さがズシンと心にひびいた。そして家に招かれその生活や生きざまに接したとき、それまでの自分を恥じずにはおれなかった。この出会いと受けた衝撃がその後のボクを大きく変えることになった。
▲教育者研修会での風景
福岡から帰ってきてしばらくたったある日、中学技生活の最後の同和教育の授業があった。テーマは結婚差別。「もし自分の結婚相手が部落の人だったらどうする」というテーマで議論した。「相手が部落出身とか関係ない。自分が好きになつた人と結婚する」「親が反対しても説得する」など、友違の発言は嬉しいものばかりだった。そうやって、中学技生活最後の同和教育の授業が終わろうとしていた。チャイムがなる直前、それまで一言も発言せずに、ずっと下を向いていた友達の愛ちゃんが突然、「自分は正直、ホンネで言うと、部落の人とは一緒になれない」と言い始めた。ボクはビツクリした。愛ちゃんは家族から「部落は怖い」「何かあったら集団でおしかけてくる」など、部落に対する偏見を小さい頃から開かされてきていた。自分が部落の人と結婚すると言っても、家族は反対するだろうと。 ボクは気がついたら席を立って愛ちゃんに言っていた。「愛ちゃんは部落に行ったことあるんか」「部落の人と話したことがあるんか」と。愛ちゃんは部落に行ったこともないし、部落の人と話したこともないと言う。「愛ちゃん、オレが愛ちゃんの言う、部落の人間やで!」 「オレ、怖いか。何か違うか!」「同じ赤い人関の血が流れてるんや!」と必死で、自分の思いを伝えていた。頭の中は真っ白になり、顔は涙と鼻水でグチャグチャだった。 当時のボクにとって、自分が部落出身だということは一番言いたかったこと。でも、一番身近な人に言えていなかった。誰にでも、人には言えないことって1つや2つはある。家族のこと、親のこと、離婚のことなど。でも、一番言えないことって、ほんとは一番分かつて欲しいことじゃないですか。親しくなればなるほど、それを抜きには自分を語れないから。 コミュニケーションって、自分が100円の情報しか出さなかったら、相手からは100円の情報しか返ってこない。ボクにとって部落出身ということは、当時10万円の情報だった。みんなのことを信じて、分かってもらいたくて出したんです。そしたら、「やっちゃん、そんな大事なことを私たちに言ってくれんや」「実は私もあるんよ。今まで言えなかったけど、私の10万円」って、みんなが自分のことを語り始めたんです。太っていることをコンプレックスに思っていること、両親がおらず祖父に育てられていること、離婚でお父さんがいないこと、弟に障がいがあり養護学校に通っていること、小学校時代にイジメを受けていたこと。みんながそれまで誰にも言えなかった10万円の情報を語りだしたんです40人いたら40人が、それぞれの10万円を持って教室にきていたんです。周りが幸せそうに見えるから、見栄を張って、背伸びしていただけなんです。 ボクたち大人も一緒じゃないですか。みなさん、職場でありのままの自分を出して仕事ができていますか。それを出しても、受けとめてくれる人間関係、職場ですか。人権教育って、誰か差別を受けている人のためにやってあげようという教育じゃないんです。自分自身が、少しでも安心して、ありのままで生きていける人間関係、自分自身が元気になる学習なんです。 |