人権の広場

障害者と社会〜虐待・警察プロジェクト・条例〜(その2)
 
  
毎日新聞社夕刊編集部長 野沢 和弘 (のざわ かずひろ)
●プロフィール
 1959年静岡県生まれ。1983年早稲田大学法学部卒業。毎日新聞入社。津支局、中部報道部、東京社会部。薬害エイズ取材班、児童虐待取材班など。科学環境部副部長、社会部副部長を経て、2007年5月から夕刊編集部長。全日本手をつなぐ育成会理事・「手をつなぐ」編集長。市川市人権擁護委員。
 著書に「条例のある街」(ぶどう社)、「わかりやすさの本質」(NHK出版/生活人白書)、「発達障害とメディア」(現代人文社)、「なぜ人は虐待するのか」「シカゴの夜から六本木の朝まで」「親」(Sプランニング)など。
ポートレイト


なぜ救うことが できないのか

 親とは本当に弱くて屈折した存在だとつくづく思うことがあります。生まれてきたわが子に障害があると分かったとき、たいていの親は落ち込むものです。

 私自身、まっ暗な部屋で、ふとんにくるまって家内がつぶやいたことを昨日のことのように覚えています。

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▲長男(右)とトマトの苗植えをする
 「サザエさんちのタラちゃんみたいだったらいいのに」

 長谷川町子さん原作の漫画「サザエさん」は、私が子どものころから日曜日の夕方テレビで放送されている長寿番組です。家族構成や年齢はずっと同じ。タラちゃんは赤ちゃんのままです。

 私の長男は生後1年半の検診で発達の遅れが指摘され、その後、知的障害をともなう自閉症と診断されました。つてを頼って医療機関や福祉施設を訪ねては、どうしたら治るのか、どこに行けば普通の子のようになれるのかと質問しました。「ドクター・ショッピング」などと言われる行為ですが、そんなことを繰り返しても望みがかなうはずもなく、訪ねた先で成長した障害者の姿を目にしては、わが子の将来を見るようでますます絶望を感じたりしたものです。

 サザエさんちのタラちゃんみたいにずっと赤ちゃんのままでいてくれたら……。私自身もそう願わずにはいられませんでした。

 親子で無人の惑星に取り残されてしまったような孤立感、疎外感にさいなまれていると、他人の何気ないひとことに傷ついたり、冷たい視線に無性に腹が立ったりすることがあります。逆に、わが子を預けた施設や学校には必要以上にへりくだり、優しい言葉をかけられたりすると相手が神様のように見えてしまったりするものです。

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▲警察を知ろう」という学習会で
   小さな権利侵害がすべて大きな虐待に発展してしまうわけではなく、何らかのきっかけがあるのです。最大の要因は、周囲の態度、とりわけ親の態度だと思います。

 ある会社で障害者への虐待が発覚したとき、私はその会社で子どもが働いている親に言われました。「こんなかわいそうな子たち、少々ぶたれたっていいんだ。あの社長は神様みたいな人なのだから」。かわいそうな子たちと言うけれども、かわいそうなのは殴られたり蹴られたりしているのに誰も助けてくれないことではないか。親にまでそんなことを言われていることが、最もかわいそうなのではないか。しかし、もともと障害を持ったことが「かわいそうだ」ということで、彼らの人生は値引きされているのです。

 周囲の職員や親にまで権利侵害が正当化されてしまうと、権利侵害をしている人の良心のタガははずれてしまいます。はじめのうちは「こんなことしてはいけないのかも」と思って障害者に体罰をしていても、「先生のやり方でやって下さい」なんて言われたり、神様のように見られたりしていると、誰だって感覚がおかしくなっていくものです。


次回に続く

障害者と社会
〜虐待・警察プロジェクト・条例〜(その3)
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